勝てば少額でも嬉しい。
それがヨークわかった。
競馬終了後、正門からバス停までの細い道路を歩いた。
右側は桜や杉の林で、左側は競馬場のコンクリート塀である。
昨年、ここで先生と別れた。
この道をサヨナラ道路と呼んでいる。
歩道の上に丸いプラスティックの屋根がかかっている。
最終レースで勝った山口騎手は、どんな顔をしているのだろうか。
名はなんというのだろう。
予想紙の騎手名の項には、ただ山口とあるだけで、名が入っていなかった。
競馬場の塀にリーディング・ジョッキーの十位までの騎手名と顔写真が飾ってあった。
そこに山口騎手は入っていない。
今日は一日一万円しか賭けなかった。
いつもの賭け金よりずっと少ない。
ギャンブル日収リロンを実践している。
いくら熱くなっても、一日に賭ける金額は、その人の日収以内でやる。
年収を三百六十五で割ればいい。
そうすれば、いくら負けても一日の損ですむ。
これを守れば、競輪競馬で破滅することはない。
この日は、賭け金が少いので、五百円券を多く買った。
これで、充分楽しめることも知った。
繁野永遠が一着でゴールインすると、「山ロリロンは正しい」とうなずきながら、
食堂で貰った大福餅を食べていた。
わずかではあるが儲けた。
一人二千八百八十円ずつわけた。
先生は、「競馬で儲けるなんてこざかしいことはしない」と書いているが、
いっぽう「勝負は勝たなければダメ」とも書 いている。
儲けの二千八百八十円から昼食代、予想紙代、駅からのタクシー代の実費をひくと、
ほぼチャラになる。
勝ってしかも儲けはないから、山ロリロンに忠実だった。
ぼくも予想紙を握りしめて、ゴールの前までつき進んだ。
ファンファーレが鳴り響き、レースが始まった。
山口騎手が騎乗した繁野永遠は、スタート直後から先頭に立ち、
ぶっちぎりの強さで、勝った。
目の前を、繁野永遠がドドドーッとゴールインしたときは、躯全体が熱くなった。
この日の成績は三万円投資して三万八千六百四十円。
八千六百四十円のプラスであった。
やはり少額でも勝つとうれしい。
これに調子に乗ってレートを増やしてしまって、大負けすることもあるのが、
ギャンブルの落とし穴だ。
以前長野に観光旅行に行った際は、残念ながら負けてしまった。
その厄を払うわけじゃないが、温泉に行った。
ホテルのバイキングを堪能したのを覚えている。
安吾が好んで逗留していたという湯峠に至る道筋にある露天風呂。
兎口集落にあるので、兎口温泉ともいう。
村山家から、松之山温泉に至るのがこの道で、
森と水田の広がる里山の景色が素晴らしく、ハイキング・コースとなっている。
温泉は道からブナの林に少し入ったところにある。
手前の温泉旅館の窓口で入浴券を買う。
石で囲った浴場は通り道から覗くことができるが、温泉客しか通らない道だ。
脱衣場の小屋はあるが、
浴場は男湯と女湯を区切る壁から天幕が湯船の上を覆っているだけだ。
また、長野の蓼科には温泉がある。
美肌や冷え性に効くと言われているので、
オススメである。
http://www.takinoyu.co.jp/
兎口集落にあるので、兎口温泉ともいう。
村山家から、松之山温泉に至るのがこの道で、
森と水田の広がる里山の景色が素晴らしく、ハイキング・コースとなっている。
温泉は道からブナの林に少し入ったところにある。
手前の温泉旅館の窓口で入浴券を買う。
石で囲った浴場は通り道から覗くことができるが、温泉客しか通らない道だ。
脱衣場の小屋はあるが、
浴場は男湯と女湯を区切る壁から天幕が湯船の上を覆っているだけだ。
また、長野の蓼科には温泉がある。
美肌や冷え性に効くと言われているので、
オススメである。
http://www.takinoyu.co.jp/
今から七百年ほど前の南北朝時代、山奥で一羽の鷹が、
同じ場所に降り立つのを不思議に思った木樵が、
脚の傷を癒している源泉を発見したという。
一号源泉がそれで、八一.五度、二号源泉は、一九六一(昭和三十六)年に
地下二百メートルを掘り当てた、九十三.五度という高温泉である。
湯質はナトリウム・カルシウムー塩化物泉だが、
古代の海水が地熱で温められて噴出したものといわれ、塩分が強く、
硼酸含有量が多く、石炭を焚いた時の煙の臭いのような硼酸臭がある。
小説家・坂口安吾を少し、また温泉の話題を取り上げる。
坂口安吾の女性観は、
母へのせつない思慕と懐郷から乳離れできなかった少年時のままに
とどまっているような気がする。
それは"青鬼の禅を洗"ってくれる女性、すなわち三千代夫人が、
安吾の目の前に現れるまで続いたのである。
若山牧水はまさに近代の感傷を背負って旅をし、
旅と酒と桜を愛した歌人といわれている。
その牧水がもう一つ愛したものに温泉がある。
ことに上州(群馬県)にはたびたび足跡を印し、温泉で詠んだ歌も
たくさん残っているので、上州での彼の足跡をざっと追ってみよう。
1918年(大正7年)11月に牧水は初めて伊香保温泉へ行き、千明旅館に泊まった。
旅と酒と桜を愛した歌人といわれている。
その牧水がもう一つ愛したものに温泉がある。
ことに上州(群馬県)にはたびたび足跡を印し、温泉で詠んだ歌も
たくさん残っているので、上州での彼の足跡をざっと追ってみよう。
1918年(大正7年)11月に牧水は初めて伊香保温泉へ行き、千明旅館に泊まった。
若山牧水は1885年(明治18年)に九州で生まれ、上京して早稲田大学を卒業し、
旅の歌人として名を残し、1928年(昭和3年)に没した。
現代の若い人にはもう縁遠い存在かもしれないが、
白鳥は悲しからずや空の青海の青にも染まずただよふ幾山河越えさり行かばさびしさの果てなん国ぞ今日も旅行く
などの歌を作った人だといえば、誰でも、ああそうかと思うだろう。
旅の歌人として名を残し、1928年(昭和3年)に没した。
現代の若い人にはもう縁遠い存在かもしれないが、
白鳥は悲しからずや空の青海の青にも染まずただよふ幾山河越えさり行かばさびしさの果てなん国ぞ今日も旅行く
などの歌を作った人だといえば、誰でも、ああそうかと思うだろう。
