樺太 | Waipuna Rainbow Diary

Waipuna Rainbow Diary

ハワイアンキルトなどにまつわる日々の出来事を楽しく綴ります!

昨日、日本テレビで放映された

「霧の火、樺太、真岡郵便局に散った9人の乙女たち」

の舞台は、

まさしく、主人の生まれた樺太、主人の生まれたその月の出来事です。


1945年8月20日、南樺太に侵攻したソ連軍が迫り

真岡郵便局の電話交換手9人が集団で自決しました。


主人の生まれた、ニッサクタンは、ソ連の国境近くですので

真岡より、早く、主人の誕生日8月12日にソ連軍が侵攻、

生まれたばかりの、主人を抱いて

主人の母は、山に逃げました。


8月14日、昭和天皇は、ポツダム宣言を受諾し

太平洋戦争は終結したはずなのに

ソ連軍は樺太を侵攻し、若い女性を凌辱し

女、子供を殺しました。


子供を背負い、兄弟が手をつなぎ逃げ惑うなか

ソ連軍が銃を向けるシーンに

主人の母は、生まれたばかりの主人を抱え

どんな思いで山の中へ走ったのでしょう~

よくぞ、主人の命を助けてくれました。


自決できず、生き残った中村瑞枝さんの

妹さんは、昭和23年、結核に侵され亡くなりました。

主人の母も、昭和22年、樺太で、結核で亡くなりました。


主人の父は、2歳半の主人をおぶって

亡くなった母のお骨を抱いて

引き揚げ船に乗り、帰国しました。


あまりに、身近な、題材に

息を呑むシーンが多く

涙なくして、観ることができませんでした。


番組終了後、娘から電話がかかりました。

号泣しながら

「お父さん、良く生き残ったね。

 私が今生きているのも

 お父さんが生きていてくれたから~」と


引き揚げ船の中で、亡くなった子供を

海に葬った人もいたそうで

胸が引き裂かれそうです。


ハワイに心馳せ

アメリカナイズした生活に慣れ

平和ボケした私は

亡き主人の母、北海道で一人暮らしをしている主人の父を

深く、想う夜でした。