高野山奥の院の御朱印
久しぶりで奥の院に参拝
父母や祖父母が分骨で眠っています。
参道には多くの大名家とともに
和歌山の江戸時代前半の
徳川歴代当主の墓も並びます。
関ヶ原の戦いの後、まず浅野家が和歌山城入場。
大手を岡口門から一の橋門に変え、
本町通りを大手筋として城下町を整備。
1600年頃から和歌山城下町の整備が
すすんだと言われています。
弊社印章店創業の
現和歌山市元寺町も浅野時代の寺町でした。
元和5年(1619)、
徳川家康の十男・頼宣公が入国し、
御三家紀州藩が成立。
徳川家は二の丸を拡張など改善し
ほぼ現在の和歌山城の姿と
なっているそうです。
浅野家は国替で広島に。
秀吉公の妻の実家
近くに分家赤穂の浅野内匠頭の墓も
ありました。
1600年以降
和歌山城本丸 一の橋から北に延びる本町通りを中心に
浅野家、徳川家により経済の中心となる
街つくりが始まります
往年の「ブラクリ丁」の発端です。
弊社ご先祖は
本丸北部の直近の『内町(今の本町)』という
商人地区に家持として
土地・家を保障され 商家として優遇され
活動させていただいていたようです。
すべての関わりに感謝です。
浅野家墓石
頼宣公より後の7代までの当主の墓
紀州二代目光貞公は 7代将軍徳川吉宗の父にあたります。
安芸宗家の浅野家、紀州徳川歴代当主にも
手を合わせて来ました。
弊社前身「三井屋」は