『世の中の役に立つ人間になるよう頑張って行きたい。』(私の、私による、成人式での、文集への自身の発表文、新成人としての決意、覚悟、夢)

 

 あの時から、栃木県黒磯市(当時。現那須塩原市)での成人式から三十余年。私は、非常に、怠惰なまま、である。あの頃の自分も、病気の中で、自身の最良の、未来への希望、展望、将来への自分への、メッセージ・夢・なりたい自分を描いた、一人の(貧しい)若者の、幼さも残るが、正直な気持ちである。

 

 この夢を、是非とも叶えたいと思う。私の成人式の言葉を、一つも実践など、私は、自分自身に、裏切り行為を、何十年となく、続け続けて、それで、人生の終幕が来て、舞台から去り、緞帳(どんちょう)が下りた瞬間、何にも、泣き崩れたり、後悔の念を起こしたり、自己反省の弁を述べる、こうは果たして、ならないのだろうか?甚だ疑問である。

 

 死ぬときに後悔するよりも、今、後悔、否、悔い改めて、良い人生を送り直す。生き直す。それが出来て初めて、自分自身の、夢なり希望の、展望が見えてくるはず。

 

 だから、私は、その事で、郡山市の、T城クリニックに電話を掛けて、実は私は、就労・就活を考えていて、というと、真っ先に否定しにかかったのが、この医師だった。

 

 実際に、そんな、あなた、働けないあなたを、そそのかしているような、そういった人たち、一人残らず、私に電話で聞いてくれるよう、貴方も、それら人々に、うちの病院まで、実際に電話を掛けて来るように、言いなさい。とな。

 

 私の病状悪化の可能性を心配なさる気持ちは十分分かる。しかし、こんな、甘い、甘っちょろい、人生を舐め腐った、ふしだらで、何も建設的でない、ただの、廃人のような、この目の前の人生が、とてつもなく、嫌だ。これは、私のファーストインプレッション、第一印象、で観た場合の、抜きがたい、見た目以上の、屈辱にも似て、そう、本人がそう言ってるんなら、それを認めてやる度量がないのか。

 

 私のうちに来ている、社協のヘルパーさんも、その先生は、本当だったら、そうやって、やっと自分で自分が判って、自分で稼いで身を立てようとしてるんだね、頑張って!位の事を言ったって全然おかしくは無いのに、何なのその先生は、という至って普通の反応である。

 

 私にもう一人の応援団、A相談室のSさんなんかも、この場合、T先生に、何を言われても、このまま、面接の話は、その意見に従わずに、粛々と進めて参りましょう、との御返事をいただき、私は何一つ、間違ってはいない、むしろ正しいんだ、という実感に包まれ、涙さえ出て来そうだ。

 

 その上での、先日、二月二十一日火曜日、二月二十二日水曜日の、郡山駅前での、貴重な面接・面会・見学の機会だったのである。

 

 私は、いつになるかは分からないが、この前に、実際に、作業所という関所、最難関は、就労移行事業施設を経て、就職活動(就活)だが、幾つもこの前には、難関が控えて居る。これ、この魔を打ち滅ぼす事が、仏法者の御役目、筋の通し方である。

 

 魔は仏様には勝てない。それは事実なのである。それが、この世の、成り立ちの由縁、由来、理(ことわり)である。