ある日、私は、就労について、深く自身、考えを巡らし、妙な覚悟を持ち、抱き、それら、就労移行支援事業所の、そのうちのどれかに行こうと固く決めた。

 たとえ、稼ぎ過ぎで、自身の年金が減額になっても、むしろ、その方が御の字だ。国家のお荷物からは、逃れられ、勤労権の行使、勤労の義務の行使、それに普通に従い、それらは、ちゃんと、私にとって、やっと大人の、あの、ちょうど三十年前の、黒磯市民文化会館で当時(現在那須塩原市)で行われた、私達の二十歳の成人式での、あの時私が誓った言葉がある。

 

 成人式の文集に私が実際に書いたメッセージ『世の中の役に立つ人間になるよう頑張って行きたい。』との、極めてあっさりとした、たったこれだけの一文が、黒磯市の当時の成人式の文集「HATACHI’93」には、私の直筆の市に送った葉書用紙のコピーとして、私なりにその文が或る一頁を彩り、文集を飾り、印刷されていた。人並みではあるが、今の自分には、決して言えない、使えない心の奥の、琴線に触れる私の人生上、大事な言葉だ。

 

 その当時、私はまだ、栃木県立宇都宮高等学校単位通信制に通っている最中であり、その文集には、私が、わざと無理して綺麗に書いても、ちっとも綺麗には書けやしなかったその私の文字群である。

 その同じページやそれ以外のページにての、おそらく大学に通ってる人なんだろうな、と私がうらやむ程の幸せに見えた女子学生男子学生と思われた、達筆の文字や、中には、英語?フランス語?ドイツ語?みたいな、横文字風の、文字を自由自在に使う。それら学生の博覧強記の人達による、エリートの人種たちを見て、少し嫉妬もした。

 

 けれども、今思い起こして、この自分のはたちのメッセージの、短文の、あっさりした一文を見詰める度に、見詰める毎に、自分、自己の原点を見る思いがする。書いて、ああ、ただ、良かったなあ、こんな言葉、今の自分などには、こんな言葉を吐いたり、書けは絶対にしないなあ、出来ないなあ、などと言う、透徹した、思いが溢れた、結論に到る。

 

 この時の誓いを、私はあれから三十余年、どれだけ実際に、自分の血や肉として、守り続け、忘れずにこの誓いの言葉を、頑固に護持し続けて、果たして来たのか、これには、疑問符が残る。