私は、朝起きてから、朝の勤行をして、朝食、服薬と順序だって進めて、暫くすると、その、就労移行事業施設の、チャレンジドジャパンに、電話をしようと思い、早速かけた。

 話を伺い、これも良い感じがしたので、これを、エヌケーテックに相談を持ち掛け、電話をエヌケーテックにした。

 すると、そこの障碍者の事業施設に、そこ、そういった障碍者施設は、皆二年縛りなんだが、そこへ行くのが決定すれば、私は、エヌケーテックとは、二足のわらじ、は出来なくなる。性格が、両社とも、違うと言う。制度や法律が、両者、違うらしかった。

 しかし、そこ、エヌケーテックでは、私などの求職者は、証明写真の際には、利用可能だ、と仰った。

 それから、夜に近くなり、私はPCのネットで、自分で、就労移行施設を一つ一つ調べ上げて行った。

 そこには、マナビ―という施設、ウェルビーという施設、他にも沢山あった。

 そこは、ほとんどが郡山駅西口の、駅前に、ビルの一角を占めて、事業を行なっているらしかった。

 まずは、それらのHPへと行き、そこで、私は面接の準備として、自身のアドレス、使用メール、電話番号等を打ち込み、入力ホームにて送信した。

 すると次の日と後日、それら事業所から、次々と電話が来た。私は、話を聞いていて、疑問点をぶっつけたり、こういう場合はどうだ、こんな時はどうなる、等の、質問をするも、答えてはくれるが、実際に来てもらった方が早い、という。

 だから、私は、マナビ―さんの場合、指導員のA相談室のSさんと行くことを決めて、お忙しいSさんの都合の良い曜日に決まり、そこでついに、人生初の、就労移行支援事業所に見学、面談、面接、面会、実にこちらも緊張感に満ちた、しかし、非常に有意義な時間だった。

 しかし、この時、私が正直に、夜起きている事がある等、話すと、それを糺す為に、今は休んでいる、作業所に通い直した方が良い。それは一か月か二カ月か三か月か、半年に及ぶのかは分からない。それは○○さん(私の事)の、真面目な生活、生活にけじめがついて来て、安心と、指導員さんも、周りの人も、思える日が来た時点で、その時が、そこの、マナビ―さんへ通える最初の日へとつながってゆく、という。

 とにかく、何だか、今すぐ通えると思っていたが、手順を踏み、段階を経るんだなあ、と実感した。何とかして、私の道を、「開拓者精神」(福島県立安積高等学校の校是の一つ)で、実際に人生を開拓し、切り開いてゆくんだ、との、希望をいだき始めた。要は、まだ何も具体的には進展はないが、これからが、楽しみ、正念場なんだと。