免疫に触れた記事もUpしましたが。もしも、自分ががんにかかるとか、手足を失うことになったとしたら? 半身不随になったら?そんなことを想定してみました。
 
 
内閣府で認めるところの「障害者」のことを自治体や企業によっては、「障がい者」と表したり、他の漢字を当てはめたりする例があるようですね。自分は障害者認定2級(精神)の手帳を持ってます。返上を考えておりますが・・・
 
 
 
 
2年間有効のPASMOはとてもありがたい。東京都の場合は都営交通が無料になります。都電と舎人ライナーは乗る機会がないけど、都バス・都営新宿・浅草・大江戸線は良く利用します。何度乗ってもタダなのだー。
 
 
障害を持った人たちとの関わりは、就労支援事業所に2年近く通所していたので、いろんなケースを見聞きしてます。先天性のマヒで両足に不自由を抱えながらも、器用に杖を使いながら地下鉄を何本も乗り換え、通所して来る若い女の子。聴覚障害のため、コミニュケーションは筆談か手話になってしまう人。何度もの自殺未遂で、手首が傷だらけのこれも若い女の子。突然に、いきなりキレまくる危ない人。
 
 
障害者と言っても身体なのか?精神なのか?に大別できると思います。身体障害者の方のほうがたいへんな状況ではないかと私なりに感じます。事故で車イス生活になった場合や、何かの理由で手足を切断した人など。カニさんとは違い、人間は指でさえ失われた部分を再生することは出来ません。髪の毛や爪は再生するのにね。足を切断した人が伸びてくる骨の痛みで苦しむことなど、良くあるそうですね。
 
 
余談ですが、、、リケジョで一世風靡した小保方しゃん。STAP細胞に期待してたんですがねー。あれは、誰かに「言わされた」のではないかと思うところ。ホントに自身で見出せたならね。屈辱を噛み締めながらもぜったい巻き返しを図ると考えるから。そうでなきゃ、悔しくて死んでも死に切れないんぢゃないかと。。。
 
 
五体不満足の乙武氏や、酔っ払って駅のホームから落ちて電車に轢かれ、気が付いた時には両足、腕が無くなってましたと言う20代の男性。YouTube動画を見ましたが、とても性格が明るいね。車イス生活の女性の動画も見たけど。どれも、悲観した内容ではなく、工夫しながら頑張っている姿が読み取れる内容になってる。
 
 
精神障害の人とは違い、身体にハンディキャップを負った人は、心の強さを得た人が多いですね。最強の壁を乗り越えてるからだと思う。また、生き物には機能を失うと不思議な力が宿るようです。何かの能力が研ぎ澄まされて、足りないものを補う仕組みがあるのだと考えてます。
 
 
自分が身体障害者になっちゃったら、治る見込みがないのですからね。きっと悩みまくるでしょう。生活は不便になるし、行動に制限も加わるしで。将来的に大きな不安がのしかかり、自分に打ち勝てる自信なんてありません。結論、実際になってみなければ、全く理解不能と言うことです。
 
 
がんに関しては想定できる気がしてます。これは、昔から疑問になってることがあるからです。外科手術は一般的で放射線療法もありますが、疑問なのは抗がん剤治療のこと。人に処方されるには、開発→治験を経て、国が薬品として認可してる訳ですが、何故に?「効かない」とか「副作用が出る」とかがあるのでしょう???
 
 
欧米では抗がん剤の使用は下火に向かっているようです。
 



初期がんの場合なら、根治できるかも知れません。だから、医師から「手術を受けなさい」と言われたら応じる気はあります。しかし、疑念は捨て切れないでしょう。医学は進歩しているけど、外科手術によっての延命はひとつも、立証されていないからです。甘いと言われるかも知れませんが、自己の免疫力次第で、ほっといたほうが治るのでは?との考え方があります。
 
 
抗がん剤治療では、みるみると悪性細胞が縮小し、やがて消えちゃうケースも確かにあると思います。ですが、正常細胞も侵してしまうのも事実であり、恐ろしい副作用で、急激に寿命を縮めてしまうケースを見過ごす事はできません。
 
 
例えば、格闘技で名を馳せた山本KID。元オリンピック選手のお父さんやご本人に何度かお会いしたこともあるだけに。。。早過ぎる旅立ちであったと。とても残念なことです。彼も抗がん剤治療を続けておりました。
 
 
自分の場合、想定できるのは、抗ガン剤治療はきっと行わないと言うことでしょう。結果的にそれで、死に至るならそれはそれで良しとしちゃいます。痛みを伴うなら、モルヒネの投与は願い出ると思いますが、死期については、運命だと割り切るしかありません。ただし、自分の免疫力を信じ、最後の最後まで諦めないと思います。
 
 
人の最後の宣告は、資格を持っている医師が判断を下しますが、無資格の素人でも脈拍が測れれば判断できます。死とは?心臓の動きが止まってしまうことだと。脳死しても心臓は動いていたりするから、その場合は最終的な死とは呼べないかも。
 
 
実際は、がんで死ぬのではなく、終わりは多臓器不全となり、心臓にダメージが及ぶ。結果、鼓動ができなくなり→死に至ると言うこと。体に血液を送るポンプが止まれば、僅かな時間で死んでしまいます。
 
 
一度、半分だけど心臓が止まったからねー。死を迎える心境がどんなものなのか?経験しちゃった訳で。自殺はとても怖いことだと思いますが、天命であるならば、これっぽちも怖くはありません。
 
 
20代の頃、結婚して間もなくね。当時、東京ディズニーランドの近くに住んでいたのね。仕事先からの帰り、深夜の湾岸高速で居眠り運転のため、浦安出口の分離帯に80Kmくらいのスピードで、正面から激突する事故を起こしちゃいまいました。車は前部が真っ二つにちぎれ、大破してオシャカ。傷の痛みで車内に閉じ込められたまま気絶。幸い、燃料に引火しちゃう、炎上寸前に救出されたけど。しっかり、生死の境を彷徨った感じ。
 
 
でも、あの頃はなんの悟りも導きもなかった。幸いに命拾いし、全身打撲と右膝の関節がむき出しの裂傷を負いました。脳に異常はなく、膝を20針以上縫う処置で済みました。「入院は嫌ですぅ」を大声で叫び続け、医師を困らせた結果、翌朝には家に返してもらったっけ。笑。まぁ、その後は、まともに歩けるるまで1ヶ月かかりましたよ。
 
 
約3年経ちましたが、心筋梗塞の時には、死というものを特別には意識しなかった。前にも記事にしてるけど。「死んだら死んだだぁ」と楽観的に思ったし、全く怖くもなかった。未練さえも感じなかったよ。なんか、ボーッと救急車や手術室、ICUの天井を見つめ続けていたかな。
 
 
生きてることって苦しいことだと思います。身も心も痛むことが多くて多くて。だから、常に楽しいことをするなり、思い描くなり、できるだけ小さな幸せを見つけ、喜びを感じるなりね。少しでも苦しみから逃れる方法を探し、頼ることに。
 
 
誰でも同じ。明日、生きてるとは限りませんから。だから、遊びまくろーと思うしね。嫌いな自分なんか、ずっと遠くに置いといままにして、好きなよーに生きて行くことにしました。
 
 
たぶんですよ。いよいよ死期が近くなったと悟ったらね。誰にも見つからない所に、ひっそりと隠れると思う。そして、ひとり静かに死んで行くことを望むだろうな。そうだね。猫って死期が迫ると不思議な行動を起こすことがあるみたいだけど。
 
 
理想はね・・・贅沢なことかも知れないけど。この世とのお別れの寸前、たいせつな人の手を握りしめながら去ることができたらね。どんなに幸せな人生であったかと、きっと思うだろうな。終わりよければすべて良しであったと。
 
 
レトロな昭和ソング♫ですが、谷村新司さんと堀内孝雄さんの素敵な歌声のかけ合い。アリスの名曲「明日への賛歌」詩もすばらしいです。涙が溢れちゃう。
 
 

 

 

 
 
人それぞれ。身をもっていろんな経験をし、考え方や生き方があります。どれが良いのかなんてーのは、自身で答えを手探りで見つけ出すしかないと思うのでしたぁ。
 

 

ちゃんと服用しているつもりのおクスリが、大量に残っているのは何故?
 
 

 
 
では。またね。