こんちは、今日からある程度真面目にブログ書こうかと思っている辻です。
立ち上げる団体の名前とか考え中です笑

というか、団体のロゴと名前の原案は出来上がってきてます。
あとコンテンツも結構詰まってきました、後はスタッフメンバーのやることと、プレゼン資料の作成。
6月25日の説明会、その後の活動までに蓄積すべき知識の整理と習得。
とかかな…とりあえずは…

さてさて、こんな感じですが
意外と昨日のブログは反響がありました。
知り合いの人からメールをたくさんいただきましたが、まぁ、無責任なのも含めてみんな応援してくれています笑
というか、見てるならコメントくれればいいのにとか思ったりしないでもないですが笑


今日の題名に関してですが

責任という言葉
これって、3つの分類はすくなくとも出きると思っています。
1自責(自分に責任がある問題)
2他責(他人に責任がある)
3無責(誰にも責任はない)

1はたとえば、自分がした行動で物が壊れたとか
2は人に物が壊されて自分が困ったとか
3はどちらでもない、たとえば今回の天災、地震みたいなの



これは、基本的には1以外はほとんどの人にとっては、人のせい。何かのせいでしょう
でも
誰かの自責は自分の他責。
自分の自責は誰かの他責。
なんですわ。

これに対して
「自分には非がない」というのは簡単であり、楽です。

「全部自分の責任、自分が今度からそうしなければいい」
ってのも、単なる逃げ口上だと思います。


この問題って上に書いたみたいに関係する人の間では常に相互補完的なものだと思うのです。
だから、片方が全てをどうにかすることはできないと思うのです。

日本人にありがちな「察してよ、考えてることわかってよ」的な空気は気に食いません。
だって、そんなことしてても、一向に理解されないことなんて分かっているのに、それを無理やり相手の責任にして、「理解されてない自分を可哀そう」とか思う痛い人間になる。
痛すぎて話になりません。

自分の本当に思っていることの半分も話さないで相手に理解してもらうなんて浅はか。
そして、足を引っ張り合う関係でしかない。

はっきり言ってそういう人は切ってしまった方が建設的に人生を送れます。
しかし、人生切ってばかりでもきついですよね。

ここでポイントになるのは
責任の切り替えと、承認の二つだと思います。

切り替えというのは
他責・無責→自責のベクトルです。
あくまで、「全てが自分の責任」とかは思わないこと。
でも、こうすれば全て相手のせいにして、いま話題の「思考停止(笑)」にはならずに済むんではないでしょうか。

おもに考えるべきことは二つあると思います。
一つがなんで、自分が今この感情になっているのかという感情ベースでの考え

もうひとつは、自分がどうすればこの問題は未然に防げたか、または現状のこの問題を解決するにはど
うしたらいいのか
という事実ベースでの考え方かと思います。


次、承認

承認というのは認めることです
良く言われることですが、すごく大事なことだと個人的にも思います。

ポイントとしては
「その時にその人に与えらる最大限の敬意を与えている」かを考えてみて頂けると
その状態について、考えが及ばないことはないと思います。

この考えがあって、もしも自分がそれを与えられていないなら
それは変えなくてはいけないことだと思った方がいいです。
そうすることで「どうすればいいのか」って考え方の方ができる気がする。



こういう他責みたいな時に
事実の分析をすることがほとんどの場合は不毛です笑
だって、相手が悪いと思っている状態での事実分析が相手が悪い方向により傾かないことなんてないでしょうからね。


というこことです。
つまり、簡単にいえば
楽になるためには相手のことを考えてあげればいいってことでした笑
非常に簡単なんですが、ほとんどの人はできません。
自己成長ん為には、おそらくこの壁は越えなくてはならないのではないかと考えながら、常に責任を自己の中に取り込む努力をしています。

さて、今日はカナダ中学から帰ってきた友達のおかえり会です、楽しみ
でも、眠すぎるから昼寝させて下さいw
そんで、読み物読んで今日は終わりw
ではでは:)