おはようございます。
「お前全然朝起きてじゃねーじゃん」って言われてびっくりしてみたところ、更新とちょっとだけタイムタグがあることがあるみたいです・°・(ノД`)・°・笑
まぁ、そこはドンマイ見たいなところあるから良いよね、自由人だから笑
さて、今日のテーマなんですけど、自由と相対について考えるところです。
ミャンマーでの友達を見て感じたところ、リベラルな方々(自分も含めて)に囲まれて生活を送っている自分を見て、思うことです。
めっちゃ掻い摘みますが
相対主義は「みんな違ってみんな良い」見たいな感じ笑
自由主義は、まぁ政治哲学の分野でいえば「国家からの不当な介入を防ぎ、プライベートなゾーンを広げていこう」とかそういうこと。
まぁ、自由主義には本当にいろいろあります、サンデルの本であげられているのは、カント、ロールズでありますが、この二人の自由主義は自由じゃないですよ笑
あと今流行りのリバタリアン(笑)もこの二人とはまったく違います、この前学校で授業中にここを間違えている人がいて、立ち上がって抗議しようかと思いましたヘ(゚∀゚*)ノ笑
まぁそこは良いとして…
まず相対主義については、多分僕はアイデンティティが非常に強いことから、これがあんまり好きじゃない。
なぜか。
相対主義は突き詰めれば虚無に行きつくからってのが、僕の現状の批判です。
無限に拡大した相対主義の中には、正義も悪も、夢も絶望もなんもない、と思います。
自分の命の価値すらないです。
僕にはこれが受け入れがたい。
むしろこれを受け入れられる人ってもう死んでいるのと一緒だと思います。
「お前のこと殺したいんだけど」
「そうだね、お前が俺を殺したいのも、お前の考え方だから、それでいいんじゃねーかな」
見たいな。
「息子さんが殺人事件に巻き込まれました。」
「まぁ、殺したい人もいるだろうしね。」
みたいな、奇妙な感じ。
司法制度も崩壊します。
「構成要件的には殺人罪になるんだけど、まぁ、ルールも人それぞれ違うししょうがないよね」
みたいな。
まぁ、これ自体に批判をすることは可能です、でも、そこで相対主義に関しては自己矛盾が生じるからそれで良いんです笑
俺の考え方に対して、批判をするということは「みんな違ってみんないい」の考え方からはそれるのです。
つまりはまぁ、自分の批判も人の考え方として受け入れることができてないんですよ笑
だから貫徹すれば虚無、貫徹できなければ自分勝手な妄想。
ってか、これじゃ自然状態と変わらんじゃないか。
と個人的には思います。
こういう人は、最終的には儒教に行きつく気がするんだどな、いい意味で(・∀・)
自由主義関しては、カントとかロールズとかに関しては非常に面白いです。
ってか、カントの述べる自由は学生に多くみられるリバタリアンにとっては自由ではないのです。
ロールズも若干功利主義的なところに向かってしまったとこあると思うんだけど、自己矛盾を認識つつ、弱者救済のためにそれにちゃんと向き合う優しい人だなって思想を見ていると思います。
政治哲学について良く話す友達が良く言うことは「経済的な自由と精神的自由を同じ机の上で議論しているのは間違っている。」ってことです。
僕もこれには賛同しますし、これは日本の法思想に見ても、二重の基準論に見られるように明確に区別されています。
でも、僕は思想の自由にも自由の規制はあるべきだと思います。
なぜか。
思想と行動を完全に分離することもまた、たいていの人間については不可能だからです。
個人的には、カントのいう理性が人間に備わっているならそれで全く問題ないと思うんですが、あれはプラトンの言うところの知のイデアに属する人間が持つ能力であると考えられる(言っちまえば、今の政治家でテレビに出るような人間はここに属さない。笑)ので、仮にこの理性が貫徹される社会は「哲学王」であるところの「市民」が「自由」に「行動」できる社会であると考えられます。
あはは、これが達成されたらやばいけどねwwww
少なくとも僕が生きている間にこんな国家が生まれるのは、若干無理ぽだし、勘違い野郎がファシズム再来的な感じになっても僕は戦場で死んだりしたくないので、勘弁(°∀°)b ←
僕にできることは、自分の中の理性を研ぎ続けることかな(・∀・)笑
ということで自由主義にも以上の二つ見たいな問題があるんだと思います。
あくまで仮説、でも今の僕の考え方。
自由も無常なのですよ、それに気づいてもなお自由と付き合っていける人だけが、自由になれるんじゃないかな。
自由もしがらみなんですよ、それでも一本一本それを引きちぎりながら飛べる人が自由。
不自由という名の檻にこもって、自由を叫ぶことは自由でもなんでもない。
そこから出るカギがあっても、きっと出ない。
出たとしても、すぐに不自由の檻に戻るかと思う。
っていう自分の考え方。
それだけのこと。
ということで、明日は、身分制度についてにしようと思った。
今日のtodo
・民法
・国際法
・刑法
・商法
・ESTA取得
・航空券お金払う
・投資学校の退会書類記入。
「お前全然朝起きてじゃねーじゃん」って言われてびっくりしてみたところ、更新とちょっとだけタイムタグがあることがあるみたいです・°・(ノД`)・°・笑
まぁ、そこはドンマイ見たいなところあるから良いよね、自由人だから笑
さて、今日のテーマなんですけど、自由と相対について考えるところです。
ミャンマーでの友達を見て感じたところ、リベラルな方々(自分も含めて)に囲まれて生活を送っている自分を見て、思うことです。
めっちゃ掻い摘みますが
相対主義は「みんな違ってみんな良い」見たいな感じ笑
自由主義は、まぁ政治哲学の分野でいえば「国家からの不当な介入を防ぎ、プライベートなゾーンを広げていこう」とかそういうこと。
まぁ、自由主義には本当にいろいろあります、サンデルの本であげられているのは、カント、ロールズでありますが、この二人の自由主義は自由じゃないですよ笑
あと今流行りのリバタリアン(笑)もこの二人とはまったく違います、この前学校で授業中にここを間違えている人がいて、立ち上がって抗議しようかと思いましたヘ(゚∀゚*)ノ笑
まぁそこは良いとして…
まず相対主義については、多分僕はアイデンティティが非常に強いことから、これがあんまり好きじゃない。
なぜか。
相対主義は突き詰めれば虚無に行きつくからってのが、僕の現状の批判です。
無限に拡大した相対主義の中には、正義も悪も、夢も絶望もなんもない、と思います。
自分の命の価値すらないです。
僕にはこれが受け入れがたい。
むしろこれを受け入れられる人ってもう死んでいるのと一緒だと思います。
「お前のこと殺したいんだけど」
「そうだね、お前が俺を殺したいのも、お前の考え方だから、それでいいんじゃねーかな」
見たいな。
「息子さんが殺人事件に巻き込まれました。」
「まぁ、殺したい人もいるだろうしね。」
みたいな、奇妙な感じ。
司法制度も崩壊します。
「構成要件的には殺人罪になるんだけど、まぁ、ルールも人それぞれ違うししょうがないよね」
みたいな。
まぁ、これ自体に批判をすることは可能です、でも、そこで相対主義に関しては自己矛盾が生じるからそれで良いんです笑
俺の考え方に対して、批判をするということは「みんな違ってみんないい」の考え方からはそれるのです。
つまりはまぁ、自分の批判も人の考え方として受け入れることができてないんですよ笑
だから貫徹すれば虚無、貫徹できなければ自分勝手な妄想。
ってか、これじゃ自然状態と変わらんじゃないか。
と個人的には思います。
こういう人は、最終的には儒教に行きつく気がするんだどな、いい意味で(・∀・)
自由主義関しては、カントとかロールズとかに関しては非常に面白いです。
ってか、カントの述べる自由は学生に多くみられるリバタリアンにとっては自由ではないのです。
ロールズも若干功利主義的なところに向かってしまったとこあると思うんだけど、自己矛盾を認識つつ、弱者救済のためにそれにちゃんと向き合う優しい人だなって思想を見ていると思います。
政治哲学について良く話す友達が良く言うことは「経済的な自由と精神的自由を同じ机の上で議論しているのは間違っている。」ってことです。
僕もこれには賛同しますし、これは日本の法思想に見ても、二重の基準論に見られるように明確に区別されています。
でも、僕は思想の自由にも自由の規制はあるべきだと思います。
なぜか。
思想と行動を完全に分離することもまた、たいていの人間については不可能だからです。
個人的には、カントのいう理性が人間に備わっているならそれで全く問題ないと思うんですが、あれはプラトンの言うところの知のイデアに属する人間が持つ能力であると考えられる(言っちまえば、今の政治家でテレビに出るような人間はここに属さない。笑)ので、仮にこの理性が貫徹される社会は「哲学王」であるところの「市民」が「自由」に「行動」できる社会であると考えられます。
あはは、これが達成されたらやばいけどねwwww
少なくとも僕が生きている間にこんな国家が生まれるのは、若干無理ぽだし、勘違い野郎がファシズム再来的な感じになっても僕は戦場で死んだりしたくないので、勘弁(°∀°)b ←
僕にできることは、自分の中の理性を研ぎ続けることかな(・∀・)笑
ということで自由主義にも以上の二つ見たいな問題があるんだと思います。
あくまで仮説、でも今の僕の考え方。
自由も無常なのですよ、それに気づいてもなお自由と付き合っていける人だけが、自由になれるんじゃないかな。
自由もしがらみなんですよ、それでも一本一本それを引きちぎりながら飛べる人が自由。
不自由という名の檻にこもって、自由を叫ぶことは自由でもなんでもない。
そこから出るカギがあっても、きっと出ない。
出たとしても、すぐに不自由の檻に戻るかと思う。
っていう自分の考え方。
それだけのこと。
ということで、明日は、身分制度についてにしようと思った。
今日のtodo
・民法
・国際法
・刑法
・商法
・ESTA取得
・航空券お金払う
・投資学校の退会書類記入。