(2023年10月27日に書いたものです。)
さて、先日の兵庫県で起きた悲しい事件。某劇団員飛び降り事件。
この方は、有名な方だったから大きく報道された。
日本では年に約二万人が自ら命を終わらせるという。
ALSに新たに罹患する人が年に約二千人。
「交換してくれない?命。」
そう思ったのは一人だけではないはずだ。

普通に動けて、食べれて、話せて、働ける。
当たり前じゃない。
もったいないなぁ、、、、一人一人の命。

色んな理由があるんだと思う。
ALSや他の難病に罹患して、絶望しての人もいるかもね。
「生きる価値が自分には無い。」って思い込んじゃう人もいるかもね。

難病患者の人!
私と同志よ!
貴方はそのままでいい。
「何もできない!」って思っている?
良いんじゃない?
難病になってしまった。
今まで出来たことが、出来なくなって当たり前。
私も生産的なことは何もしてない。

「生きる価値が自分にはない。」って思っている人!
価値って言うけれど、なぜ、生きることを数字や物の値段のように言うの?
そもそも、生きてゆくのに「価値」っているのでしょうか?
人間はデパートで売られる商品ではない。
商品には価値は必要。ブランド、色柄、時流に乗ったデザイン、、、

でも、人にそれは必要ですか?
身だしなみや礼儀はいる。
人は売られてゆくものじゃないし、売れ残るものじゃない。
一昔前は、女性の年齢をクリスマスケーキに例えていた。
今、そんなことを言う人がいたならば、その人の頭は化石のようにカッチカチ。

ただ一生懸命に生きて、
最後に「貴方は貴方の人生の全課程を修了したことをここに証する。」って言われながら、卒業証書を受け取ればいい。
「貴方の人生の全課程」って千差万別。
私は、前半は家事育児に全力投球、後半の今はマスコット科の愛玩マスコット課程在籍よ。
愛玩マスコット課程って、何をするところかって?
マスコットのように家族の中心にいること。
マスコットのように家族に愛されること。
ただいるだけで、家族が嬉しいと言ってくれること。

そこに価値は存在しなくて良い。
アラブの石油王だって、私を買うことはできない。
家族が大金に目が眩めば別だけど!