(2023年夏頃に書いたものです。)
例えば、故障した車が綺麗に修理され、無事に戻ってきた、としよう。
整備士に、
「どうもありがとう。おかげで助かりました。」
と、言ったとしよう。
整備士は、
「いえいえ、これは私の仕事ですから。」
と、答えたとしよう。
この言葉のやり取りには、何の不自然さはない。

検査入院では、幾つかの検査がされたが、その一つ、針筋電図検査。
電極の付いた針を筋肉に刺してゆく。
入院部屋から、検査室に連れて行かれた。
体じゅうに針を刺してゆく。
若い女医は、一度刺した針を、上手く測れなかったから、と言って、二度三度刺してゆく。
まだ経験が足りないのかもしれない。

全身何十ヶ所、
「こんなところまで?」
頭、顔、まで隅々と。
あまりに、何度も至る所を刺され、同じ箇所も刺され直す。
私は、半裸であった。
冷房も効いていた。
寒気と嫌気で、体がブルブル震えだした。

若い女医は、検査続行が無理と見て、
「では、一度中断して、後日、残りをしましょう。」と提案してきた。
後日、残りの箇所を刺され、検査は終了した。
私は、女医に検査が予定より長引いてしまったことを詫び、お礼を言った。
「これは私の仕事ですから。」
女医はこう答えた。

そうですね、あなたにとっては、私の結果が白であろうと黒であろうと関係ない。
刺してゆくのが、仕事ですよね。
「脳神経内科の数値は、嘘をつかない。」
あなたは、そうも言いましたね。
私にはその言葉、なぜだか、引っかかってしまいました。
刺されたことは、必要なこと。
「私の仕事ですから」
という言葉が、人ではなく、物に対して向けられているように感じたからだろうか?

医者と患者、医者の立場は上だけど、患者がいなければ学べない。
勿論、若い女医が私に礼を述べる必要はない。
物に対して使うような言い方だ、と感じてしまった自分がいるだけだ。
もっと簡単な検査なら、こんなふうに感じていなかったと思う。
同室のパーキンソン病のおばあちゃんとお話するのが、癒やしだった。