「日本レコード大賞」の衰退は1989年から始まった。 | wagontakaoのブログ

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ネットを見たら、TBS「日本レコード大賞」の衰退は1989年から始まったことがわかりました。

ネットからですが、↓です。

「日本レコード大賞が30日、決定する。それに合わせた番組も4時間半の生放送だ。年末の風物詩ともいえるが、かつては今とは比べ物にならないほどの盛り上がりを見せた。テレビの衰退なども要因だが、それ以外にも理由はあるという。歴史を紐解いた。(2021年9月26日に配信した内容の再配信です。年齢、肩書等は当時)

かつては今くらいの時期になると、レコード大賞をめぐる話題があちこちで出始めた。本命は誰で対抗、大穴は誰か。アイドル好きにとっては、新人賞の行方も重要だ。世間もメディアもその予想で盛り上がり、1970年代から80年代にかけては、それが当たり前だった。

 そのころ、本選は大みそかに「輝く!日本レコード大賞」(TBS系)として生中継され、69年から85年までは視聴率が30%を超えた。最高視聴率は、77年の50.8%。「NHK紅白歌合戦」と並ぶ、年末の怪物番組だったのだ。当時の音楽ファンは夜7時からの「レコ大」と9時からの「紅白」をリレーして見ることを何よりの楽しみにしていた。

 しかし「レコ大」の視聴率は2005年に10.0%まで落ち込み、翌年から12月30日の放送となる。これにより、少し持ち直したものの、昨年の視聴率は16.1%。数字的にも注目度的にも「くさっても鯛」みたいなレベルは保っている「紅白」に比べ、すっかり普通の番組と化してしまった。

 これはいったいなぜなのか。じつは大きな節目がある。1989年、元号が昭和から平成に改まった年だ。86年に30%を切ったあたりから陰りは見られたが、この年、凋落を決定づけるような大混乱が起きた。ここでは、それを振り返ってみたい。

 そもそも、凋落には内憂外患がつきもの。まず、内憂についていえば、この年、大賞の選考が大いに割れた。いや、競り合い自体はむしろ盛り上がりにつながるはずだが、割れ方が特殊だったのだ。

 この年の6月、歌謡界の女王と呼ばれた美空ひばりが死去。それもあって、遺作の「川の流れのように」が大ヒットした。このため、長年の功労者でもあるひばりにレコ大をという声があがり、本命視されるようになる。

 しかし、ふたを開けてみれば、女性デュオ・Winkの「淋しい熱帯魚」が受賞。「川の流れのように」は次点に終わった。この背景には、死者が大賞を受賞という前例がなく、レコ大の後援団体でもあるTBSへの貢献もほとんどないことが響いたとされる。

と同時に、これは新旧二大勢力の対立の反映でもあった。台頭著しいポップス・ロックと伝統を担ってきた歌謡曲・演歌。後者にとっては女王の死を機にジャンルの健在ぶりを示したかったのだろうが、前者には現実の音楽シーンを主導しているのはこちらだという自負があり、その復権を阻止したかったわけだ。そのために組織票が多く使われたといううわさも流れ、後味の悪い結末となった。

 さらに、この逆転劇には個人的な苦い思い出もある。大みそかに帰省した際、スポーツ紙がぶちあげていたひばり内定説を実家で自信満々に語ってしまったのだ。芸能評論家としては今でいうフェイクニュースを流したことになり、信用はがた落ちであった(苦笑)。

それはさておき、外患についてはどうか。じつは視聴率低下に大きく影響したのはこちらだ。それまで夜9時開始だった「紅白」が二部制を導入し、7時20分スタートに変更。「レコ大」と時間帯がかぶる第1部は昭和を振り返るという懐メロ企画だったが、音楽番組であることに変わりはない。そちらに流れる人もかなりいたようで、数字は前年の21.7%から14.0%まで落ちた。

 しかも「紅白」は翌年も二部制を継続。第1部はもはや懐メロではなく「レコ大」に出ていてもおかしくはないような現役のヒット歌手が登場するものとなり、このかたちが今ではすっかり定着している。

 おかげでふたつの怪物番組の蜜月は、終わりを告げた。そもそも「レコ大」の人気が上昇したのは「紅白」の前の時間帯に放送され始めてからなのだ。かつては両方に出演する歌手が「レコ大」終了から「紅白」開始までの数分間で移動する際、両会場のあいだの信号が全部青になるらしい、という都市伝説も生まれたものだが、両者はリレーして共存する関係ではなくなってしまった。怪物同士が数字を食い合い、やがては負けた側が大みそかから追い出されてしまうわけだ。

そんな未来が予想できたのか「紅白」が二部制の継続を発表した90年、TBSの制作部長がこんな発言をしている。

「過去何十年かこういう形でやってきて、大衆の皆さんが納得してきたわけですからね。昨年は平成スタートと『紅白』40回の記念イヤーでしたから目をつぶりましたが、まさか今年もとは思っていませんでしたよ。民放同士ならともかく、公共の電波であるNHKが視聴率稼ぎの方向に走ってはね」(「怪物番組 紅白歌合戦の真実」合田道人)

 恨み節のひとつも言いたくなる状況だったのだろう。そればかりか「レコ大」は90年の司会者に「紅白」の顔でもある和田アキ子を起用するという反撃をした。

 さらに、89年の混乱は他にもある。じつはこの大みそかに「レコ大」や「紅白」への関心を削ぐような緊急会見が行われたのだ。中森明菜・近藤真彦の「金屏風会見」である。

 この年の7月、近藤の自宅で自殺未遂をした中森は活動を休止。「紅白」で復帰をというオファーを断り、その時間帯に近藤とともに釈明会見を開いた。この模様はテレビ朝日系の特番内で生中継され、会場に金屏風が置かれていたことから、婚約発表なのではという臆測も飛び出すなど、高い注目を浴びた。

 この会見自体が「レコ大」とかぶったわけではないが、中森は2度、近藤は1度、大賞を受賞しているレコ大常連者だ。ともに現役のヒット歌手でもあり「レコ大」に出ていてもおかしくなかった。そんなふたりのスキャンダルにより、注目度の分散が起きたことは「レコ大」にとっても不幸なことだっただろう。

 しかも、近藤の後輩にあたる光GENJIは前年の大賞受賞者。89年も「太陽がいっぱい」が「淋しい熱帯魚」や「川の流れのように」以上のセールスを記録していて、大賞の有力候補だった。しかし、ジャニーズの力も緊急会見で分散されたのか、得票数は3位にとどまった。

 とまあ、さまざまな混乱が起きた89年。この混乱から、迷走が始まる。翌年の「レコ大」は2部門制を導入した。歌謡曲・演歌部門とポップス・ロック部門に分け、それぞれで大賞や新人賞、歌唱賞などを選ぶようにしたのだ。

この2部門制は3年間続き、もっぱら悪手として語り継がれている。単純な話、賞の権威が半分になったという見方もそのひとつだ。そして、それ以上に痛かったと思われるのは、これが一種の忖度だったことである。

 ひばりとWinkの逆転劇が象徴したように、新旧勢力の立場の逆転はもはや決定的。これからはますます、歌謡曲・演歌の旗色は悪くなるだろうから、という旧勢力への配慮が働いたことが明らかだった。こうなると、視聴者はしらけるものだ。

さらに、この2部門制はジャニーズの機嫌も損ねてしまう。90年に「お祭り忍者」でデビューした忍者が歌謡曲・演歌部門での受賞を望んだにもかかわらず、ポップス・ロック部門に回されたことに不満を覚えたといわれている。賞レースからの撤退を決めたきっかけのひとつともされる出来事だ。

 もっとも、遅かれ早かれ、ジャニーズは「レコ大」を見限っただろう。公的に明かされている「所属アーティスト同士を争わせたくない」という理由もまったくのうそではないだろうが、獲りに行くだけの価値が「レコ大」からは失われていったのも現実だ。たのきんトリオとシブがき隊で最優秀新人賞を4連覇した80年代前半には、ジャニーズにとってそれだけの価値があったのだから。

 一方「レコ大」にとって、ジャニーズに逃げられたのはもったいなかった。21世紀の「紅白」がジャニーズで延命しているように、もっとうまくつきあえていれば、数字も注目度も盛り返せていたかもしれない。89年の大賞はいっそ、光GENJIの2連覇でもよかったのではと思ったりもする。

 ところで、89年の「レコ大」にはもうひとつ、逆風が吹いていた。賞レースをめぐる「なくてもいいよね」という空気感だ。じつは「レコ大」の成功を機に、さまざまな音楽賞イベントが生まれ、いささか乱立気味だった。

 TBS以外の民放各局が持ち回りで開催する日本歌謡大賞に、有線大賞が2種類、日本テレビ系の日本テレビ音楽祭にフジテレビ系のFNS歌謡祭、テレビ朝日系の全日本歌謡音楽祭、テレビ東京系のメガロポリス歌謡祭。ただでさえ、マンネリが指摘されるなか、88年には昭和天皇重病による自粛ムードが起き、いくつもの音楽祭が中止になった。

 レコ大は行われたものの、賞レースが減ってもそんなに困らないことが露呈。音楽ファンにすら広がり始めた「なくてもいいよね」という空気感を、老舗にして最強であるレコ大は吹き飛ばす必要があったのだ。

 しかし、89年の大混乱はその空気感をますます濃くしてしまった。その後、他の賞イベントは次々と終了、もしくはコンサート形式などに姿を変えていく。そんななか、レコ大も衰退してしまうわけだがーー。

なんだかんだいって、今も続いていることはむしろすごいことかもしれない。特定の事務所やレコード会社による影響力などが批判されながらも、その年を象徴するヒット曲が選ばれることも多いし、歴代の受賞者などを見ればそれなりに音楽シーンの移り変わりも確認できる。資料として文化として、貴重なものではあるのだ。

 それに何より、受賞者が昔ほどではなくても感激している姿には心を動かされる。そんなレコ大まで「なくてもいいよね」とは思わないし、こういう筆者のような視聴者がいるからこそ、60年以上も続いているのだろう。

 今年も楽しみだし、数字的にも注目度的にも、もうちょっと盛り返せるよう願ってやまない。」とあります。

「日本レコード大賞」も「紅白歌合戦」同様、完全に終了してもいい番組になっていますし、全国の視聴者が「日本レコード大賞」と「紅白歌合戦」の2番組は終わってほしいと思いますし、それなら色んな時代を振り返るクイズ番組にしたほうがマシだと私は思います。

昨今は、テレビやパソコンでもアマゾンプライムやyoutubeを見る方が多いですし、今は知らないミュージシャンが増えていてついていけない視聴者が増えているので、年末番組を総入れ替えした方がいいと思います。

以上です。