「東日本大震災」被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

あの悪夢から三週間が過ぎました。

3月11日。
思えば11日外の現場を見終わって、業者さんと電話で話していました。
揺れ始まってから、あまりの大きさに私から一方的に切ったと後日に言われました。

いわきは午後2時47分から悪夢がはじまりました。
現場事務所倒れると思い押さえてた棚から手を離し外に逃げました。
逃げようとしてるとロッカー、テレビが飛んできました。 左腕痛い。
共立病院内も漏水、停電で大パニック。エレベーターも停止。
復電しようにもあまりにも強い余震が続いて復旧出来ず。
待機しながら周囲点検中、外は地盤沈下、ガラス散乱。
6号国道は大渋滞。
津波の情報が出て実家が気になる。しかも大津波警報って聞いたこと無いよ。
娘の下校時間と津波が来る時間がかちあうと思い連絡とろうとするが全くダメ。
院内の復旧作業を進めて気づけば24時半。
周囲が気にかけてくれて実家へ帰る。
途中、岩が2個転がってました。
しかし、トンネルを過ぎると真っ暗で停電。
先を見ると消防の人がこの先はガレキの山で何もありませんと泣いていて、先を急ぐと豊間が何もない。
夜だからよくみえないけど何もないのだ。
信じられないが、これは事実。
涙がとまりませんでした。一人真っ暗の瓦礫を見て泣きました。
本当に信じられませんでした。
頭がおかしくなりそうでした。
次の日の朝になるのがとてもイヤでした。

そんなことを考えて、朝まで寝れずにいました。

3月12日
余震の多さと、不安で寝れずに朝が来ました。
明るくなった江名を見ると、壊滅状態。港へ立ち入りできない状況。
写真のような感じでした。
合磯から平へも壊滅状態で行けませんでした。
車を止めて豊間を歩く。
道は人工的に作られた砂道。
友達の家や工場は壊滅。
県道は見事に瓦礫の山
セブンイレブン豊間は壊滅。付近の電柱ごと倒されてた
このあたりの人は塩屋崎カントリーに避難していました。
しかし、17人が行方不明だったんです。
小浜は今日から救出作業がはじまってます。
行方不明の二人の無事を祈りたいです。

未だに停電したまま。

3月13日

まったく停電で情報が入らず不安の夜を過ごしました。
13日は朝からガソリン探しましたがスタンドは全くあいてませんでした。
セカンドカーのワゴンRは燃料無くなりました。

12日みた場所からさらに足をのばし永崎へ。
海岸まえの道路が砂だらけ。
小学校の大黒屋前の建物がひんまがって盛り上がってた。
小学校前の橋も破壊。
永崎小の娘の同級はどうなったのか。

午後はマルトで食料調達出来たので助かりました
地震起きてから二日が経過しました。



続きはまたあとで。