とにかく動員されている人数が凄まじいです、avexが巨額を投じて、中韓ッ台日香…と上映しても採算が取れず、欧米進出、ソフト化しても駄目で結果的に事業撤退したという謂れの作品です。最後の戦闘は流石に壮大ですね。それまでは心理戦の色彩が強かったですが。ただ、敵味方なく犠牲者が莫大なものとなりこの戦争に勝者などない、その事が落ちになっています。でもこの戦争が何故、起きたのか、その事が問われてはいますね。曹操が漢の宰相か逆賊かの定義付けの争いという事にはなってはいます。まあ、圧倒的多数で漢が敗れたわけですから、曹操を天才と呼ぶわけにも行かないでしょう。嘗ての女の情に絆されて、指揮官としての状況判断を見失ったと言う結末ですね。確かに魏は後に司馬氏によって征服され、蜀、呉と制され晋として国家統一を成し遂げます。その意味でこの戦い、何だったのか、という事ですが、孔明の天下三分の計がこの時に正に成就する事にはなります。風向きの変化が西から東に変化してからが火攻めを契機にした呉・蜀連合軍の攻勢開始になります。燃え盛る炎の中での夜戦、そして昼間になってからの曹操本陣での攻防戦。確かに見ごたえはありますね。よく城攻めには十倍の勢力を必要とするとは言いますが、その中での攻勢。戦闘の最初に兵士達は家族への一斉に手紙を捨てる場面がありますが、そもそも伝達する体勢ってあったんでしょうか? その前は当時で餅米が振舞われます。本来なら家族と一緒に過ごす時でも、強盗が家の周りを取り囲んでいたら、戦わなくてはならない、家族とゆっくりするのはそれからだ、と兵達に号令しますが、これはどこまで望めんでしょうね。史実では確かに死者数で概数が出ていますが。火攻めの後は弓矢や白兵戦になります。火薬の発明は時代を下っての話ですから火矢を放つか燃える焼け石や玉を投下するんですね。

 正に何のための戦争かですが、正に人命があまりにも軽いのは戦争の常ではありますね。北馬南船とは言いますが、魏の側が莫大な船を連結させた事が逆に火攻めの対象になります。まあ、一度みれば充分でしょうか