ほんのささいな日常
夢を見ていた。
起きた途端、泉の無念と私自身の底知れぬ寂しさで涙が止まらなかった。
三月三十一日未明、時計を見ると三時半。もう寝られそうにない。
これまでの職場への最後の出勤日だというのに。
あきらめてベッドの上で横になっていると、可哀想に思ったのか、泉があらわれた。
私は薄暗い寝室で普通に泉と再会した。
驚きはしなかったが、泉が死んでいるという自覚はあるので「飛べたりするんか?」と質問したりした。
泉はにやりと「飛べるよ」といい、ひらりとジャンプしたかと思うと、どしんとベッド脇に着地するのだった。
何だそれは。それを飛ぶとは言わない。飛び降りただけだ。
本当に他愛のないことで、久しぶりに二人してけらけら笑った。
一時間も一緒にいただろうか、気がついたら五時を過ぎた頃で、目が覚めれば泉はいない。
でもそれは身体の感触もあるリアルな質感をもつ「夢」だった。
夢で会うのは四度目か。ちょっと楽になった。けらけらと笑えたからか。
このWEBサイトを寄贈してくれた制作担当さんから「ブログを書いてください」と提案されて以来、どうしようかと途方に暮れていました。
それから十日が過ぎ、あれから一年と一ヶ月と十日が経ち、リアルな泉の幻が夢に現れたのを機会に覚悟をきめました。
私にできることといえばやはり「ほんのささいな日常」を書きとめることくらいでしょうか。
追悼文集の続きです。
同時に皆さんから寄せられた追悼公演「わが指のオーケストラ」に対するコメント、泉慈恵に関することなどを紹介いたします。
またしても皆さんどうぞよろしくお願いします。
2009年4月1日 戸塚 直人