ユダヤ人が霞ヶ浦周辺にも住んでいた? | 主は私の羊飼い

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統合失調症と診断された娘との暮らし。

シャローム! 安息日を感謝します。

 

今日は雲一つない晴天でありがたいです。

一昨日は、台風並みの強風で、ビニールハウスのビニールが一か所破れてしまいました。

幸い(夏の日照りで全滅だから幸いでもないけど)、みつばは今期は出荷できなくてありませんでしたから、作物被害はありません。

 

今朝の礼拝も恵まれたのですが、娘二人のことと、とても親しくしていた組内の方が突然亡くなったこと、また嬉しい発見もあって、心定まらず、という感じで今もいます。

 

なので、今日は以前紹介した『ユダヤと日本 謎の古代史』M・トケイヤー著 箱崎総一訳 産業能率大学出版部刊 の前半を読んで思ったことをサラッと書きます。

 

まず、シルクロードを旅した絹の商人はすべてユダヤ人であると、トケイヤー氏は言っています。

 

まだ、バビロニア地方に住んでいた紀元前の時代に、ユダヤ人たちは、シルクロードの開拓者としてシナから絹を運び、織物として加工し、それを染色した特殊技術者であったと。

 

ユダヤ人たちが未知の国へ大旅行した目的は、地上の天国を求めることにあって、その地方の人たちと文化を分かち合い、平和に暮らすことのできる土地を見つけることだった。

 

古代アッシリア、バビロニア帝国の圧迫のもとで、古代ユダヤ人たちは、このような大旅行を何度となく企てた、と。

 

 

かつて、アッシリアのサルゴン2世によってサマリアが滅ぼされたのが前722年で、北王国イスラエルの指導者やおもな民はアッシリアの各地に捕囚として移住させられました。(Ⅱ列王記17:6)

 

また、エルサレムが焼き払われ、破壊されたのが前586年で、Ⅰ歴代誌9:1、イザヤ39:7、エレミヤ20:4、エゼキエル23:25、ミカ4:10には人々を捕囚として連れ去ったことが記されてあります。

 

ただ、バビロン捕囚については、エレミヤ28:4に「バビロンに行ったエホヤキムの子、ユダの王エコヌヤと、ユダのすべての捕囚の民も、わたしはこの所に帰らせる。—主の御告げ。―わたしがバビロンの王のくびきを打ち砕くからだ。」とあるので、捕囚の民が圧制から逃れて別の場所に旅ができたかは疑問だし、神様はすべての民を帰らせると約束しておられるので、ユダの民(ユダ族、ベニヤミン族)がシルクロードを旅した、というのはないのかなと思います。ただ、一度エルサレムに帰ったあと、出て行った可能性はありますよね。

だから、シルクロードを旅したであろうユダヤ人のほとんどは、北王国イスラエルの十部族であると考えられるわけです。

 

また、「絹」で聖書辞典を調べると、絹の原産地は中国で、地中海世界にはインドを経てアレクサンドロス大王(前356~323年)の東征以後に伝えられた、とあるので、捕囚後、中国に渡ってから絹の技術を習得したユダヤ人たちがいた、ということかもしれません。絹は金と同じ価値があったそうですから、商売上手なユダヤ人がこぞってその技術を身に着けて商売したのだろうと思います。

 

そんなユダヤ人たちが、アジア大陸のあちこちに住みつき、地上の天国を見つけ、その地で子孫を残していったわけですが、その中の一つが日本だったようです。それなら、日本だけでなく、アジアの各地にユダヤ人文化が残っていそうですよね。

 

ところが、スコットランド人の商人でキリスト教徒のマックレオド・ノーマンは旧約聖書に見られる様々な事柄が、明治維新直後の日本人の生活全般にわたって認められ、これらの類似点はイスラエルと日本のみ発見されており、その中間地点にあたる中近東、中央アジア地方には全く存在しないと言っているそうです。

 

例えば、ヘブライ語で「ミクバ」というのは日本の「みそぎ」のようなもので、自然水によって身体を清めると決まっていて、雨水とか泉の水などを使わなければならないそうです。

 

先日テレビで、鹿島神宮の池にたくさんの男性がふんどし姿(女性は白い着物を着て)で浸かっている映像を見ました。これだろうなあ、と思いますが、でもそんなミクバってトラーにないですよね。

 

また、秦氏が住みついたという太秦では、牛祭があって、それが毎年9月に行われ、ヨムキプールと似ているとか。トラーでは二頭の山羊が使われるところが、牛二頭になっています。なんでも日本では山羊は飼いづらいそうですが、そこは教え通りにしてほしいところです。

 

そして最後に、最近知ったのですが、霞ヶ浦沿いの道を車で走っておりますと、一軒、古びたシルク縫製工場があるのです。

今も稼働しているのかわかりません。でも、もしかしたらユダヤ人がここに住みついて絹織物をし、その子孫が今まで継いできたのでは?と勝手に想像して運転しました。

 

以前、「ワーホイ」という子どもたちが正月に行なっていた餅焼祭のことを書きました。これは茨城の各所で行われていたそうです。ダンナは「神社にある泉の前でやった」と言っています。また歌もあったそうで、その歌詞を知っているのはお隣りのおじいちゃんしかいないようです。このお祭りがユダヤ的なのかは全くわかりませんけど、ぜひその歌詞をおじいちゃん(先日、車でうちに来た。免許返上している。酸素ボンベを携帯している。)が元気なうちに聞きたいと思っています。

 

今ダンナがお葬式から戻ってきました。引き出物には三種の神器である八咫鏡が描かれてあります。

 

年末に買った親戚が作っているシクラメン。毎年1つ大きい鉢はもらうのですが、親が作業小屋に置くので、自宅用に。

花が散らばってきました。5月まで持たせる自信がないです。

 

 

数日あとに買った安いほう。買ったときと変わらず生き生きしてます。

上のとの違いは、家の肥えた土で植え替えたことでしょうか。

 

安息日以外毎晩寝る前に火鉢の炭に火を入れます。

だいたい大中5個くらい。姉にもらったヒマラヤのセージの葉も燃やすと楽しい。

火を見ると落ち着きます。

 

ダンナが一酸化炭素中毒にならないかと心配しますが、私の部屋は屋根裏部屋に行く階段があるので大丈夫なはず。

それに朝見るといつも半分か3分の一は残ってます。

火鉢は中型でリサイクルショップで2500円でした。