隣人(となりびと)と敵 | 主は私の羊飼い

主は私の羊飼い

アブラハム、イサク、ヤコブの神、神の子キリストを信じる信仰とは。
無農薬、無化学肥料、
ほとんど不耕起、
自然栽培で作った野菜、果物で
健康を維持する。
統合失調症と診断された娘との暮らし。

シャローム! 安息日を感謝します。

 

今朝は朝日は見えませんが、「大寒」というほど寒くはありません。畑も霜は降りませんでした。

畑では、ソラマメとさやえんどうの株が寒さに耐えながらちょっとずつ成長しています。豆って強いですね。

だから豆はすすんで食べるべきだと思います。

 

さて、今朝の礼拝で創世記26章を朗読しました。

 

国にききんが起こり、イサクはペリシテ人の王アビメレクのところに行きます。

「主はイサクに現れて仰せられた。『エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。それはわたしが、これらの国々をすべて、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たすのだ。』」2,3節

 

イサクはペリシテ人の地で栄えますが、ペリシテ人にねたまれ、嫌がらせを受けます。井戸の取り合いになります。やはり水は必須です。でも、イサク自身が争ったのではなく、イサクのしもべたちが争ったのであって、イサクは争いを避けていたようです。イサクを追い出したアビメレクともその後契約を結び、その日新たに井戸が与えられます。その井戸の名にちなんで、今も呼ばれている地名がベエル・シェバです。やはり神様の祝福=水なのです。

 

続いてⅠ歴代誌19章を朗読しました。

ここは、アモン人とダビデとの戦いの場面です。

アモン人がダビデの好意を踏みにじり、戦争をしかけてきたため、ダビデは応戦したわけです。売られたケンカを買って、大勝利をおさめました。

 

イサクもダビデも、もともと穏便であって、自分から進んで戦いをしているわけではないのです。

 

また、マタイの福音書5章21~48節を朗読しました。

 

「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われてたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」43,44節

 

この箇所はレビ記19章18節から御子イエシュアが引用されたと考えられますが、「自分の敵を憎め」ということばはないので、以前から不思議に思っています。

 

そもそも、「敵」は存在しているのでしょうか。

私たちはどんな人であっても愛すべきであって、憎んではならない。

「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。」レビ記19:18とまずあるのだから。

 

「復讐と報いとは、わたしのもの、それは、彼らの足がよろめくときのため。彼らのわざわいの日は近く、来るべきことが、すみやかに来るからだ。」申命記32章35節 とあるように、神様ご自身が正しい者のために復讐を遂げてくださいます。

 

今の時代、「目には目で、歯には歯で。」出エジプト記21:24 レビ24:20 申命記19:21 マタイ5:38 は許されていないと、多くの人は思っていますが、中にはその教えを今も守っている民族、種族、信仰者もいるのかもしれません。

 

ヘブライ語の本を買ったので、謹呈された冊子を読みました。

その中で佐藤優氏が「ウクライナ戦争は国家間戦争です。対して、ガザ紛争はイスラエル軍によるテロリスト掃討作戦です。」と言っています。

 

私はウクライナ戦争は国家間戦争だとは思わないけども、ガザ紛争はイスラエル軍によるテロリスト掃討作戦であることは間違いないと思います。ただ「テロリスト」と言っていいものか。ただ共通しているのはユダヤ人が関わっていること。そして、どちらも神を信じていながら、神の教えに背いている者たちが引き起こしていること。

 

先週創世記25章を朗読して、アブラハムの子孫たちの多さに改めて驚きました。

そばめたちの子らはみな、東方の国に遠ざかりましたが、イシュマエルは依然、イサクと共に生活しており、その子どもたちは12人で、12氏族となりました。16節

 

イスラム教の伝承では、イシュマエルはメッカに住みつき、のちのアラブ人の始祖となり、アブラハムとともにメッカのカアバ神殿を建てた、ということです。伝承ですから、イスラム教徒が皆そうのように信じているかはわかりません。

 

サウジアラビアにあるメッカとメディナだけでいいはずなのに、エルサレムにも聖地を持ったため、戦いが長く続いています。

一個の井戸だけで満足できないのはいつの時代でも同じなのでしょう。

 

そして、奪われたら奪い返す。どうしたって、その地は聖地であるから自分たちが信じる通りの神殿を造らなければなりません。

 

イサクやダビデのように穏便に解決できればいいのですが、そうならないのは、イスラエルという名の国家が神の教えの元にいないからです。だから神様も復讐してはくれません。

 

同じ『ミルトス』の中にこんなページも。

ガザに住んでいる人たちはみなイスラム教徒ではないのでしょうか?

イスラム教徒でもイカを食べる人たちもいるのか?

 

父なる神様はイスラエルという宝の民、神の家族とともにおられても、今のイスラエルという名の国にはおられません。

 

「また私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。」ヨハネの黙示録21:2

 

いづれ、古い、罪に染まったエルサレムはいらなくなります。