(過去のインスタ記事を)
(まとめております)
多分もとは違うんだけど。
わたしは喜怒哀楽が
薄い方の人間で。
たくさん喜ぶのも
たくさん悲しむのも
避けて通った人生でした。
‥
わたしの父が、
わたしが16で亡くなって。
その折り母は大病して入院中。
父の死をたった一人で迎えなければいけないという、
壮絶体験のような出来事も。
‥
実のところ言うと。
何にも感じなかった。
‥
【表面的なわたし】
が生まれたのは
そんな頃だったか。
息がなくなる父と最後の会話をし、
その際は少しばかりの涙を流し、
大人たちの前でよれよれと萎れ、
父の死のせいで立ち直れない。
これ以上は頑張れないと言って
学校をたくさん休んだ。
‥
まるで台詞でも吐くように。
まるで【人】を演じているように。
【人】ではない自分を隠しながら、
人波を縫って生活していた。
‥
本当のところを言うと、
わたしはホッとしていた。
父が病気になった時には
両親はすでに離婚していたし。
その離婚の理由は母の不倫で。
そして父の病気は離婚のせいだと
思っていたもんだから。
‥
父のことがかわいそうで惨めで
どうにもいたたまれなかった。
そして、そんな風にして
惨めに人の生を終えていく父の姿を
わたしは受け入れられなかった。
わたしはまだ幼かったこともあって
父の身の回りの片付けなども
一切関わることもなく。
父の死のおかげで、
随分と逃げられたものだ。
その頃から感情の起伏はなくなり、
あまり笑うこともなく、
楽しむことも、
悲しむことも、
幸せになることも、
避けるようにして生きてきた。
‥
そんな父の死から、
早いもので17年。
あのとき。
台詞を吐くようにして暮らしていた
あのときのわたしは、
随分と消えてなくなった。
心から笑える時間が本当に増えて、
自分が幸せなんだと
今ならきちんと認識できる。
‥
ひとり寂しい思いを隠してきた
16の【わたし】は
33になって救われたんだ。
‥
大体のことは父の死のせいにして投げ打ってきたわたしは
なにか始めてもすぐに投げ出し、
一向に形にならない。
今の仕事に出会うまで、
自信になるようなものはなにもなく。
やりたいことも、夢も希望も、
いつだって口先ばかりで、
一生懸命に取り組んだことなんて一度もなかった。
‥
そんなわたしを、
軽井沢との出会いが
変えたんだ。
‥
軽井沢で働くようになって、
ひとつずつ積み上げてきた
ものがある。
失敗も挫折も、
痛いことも苦しいことも、
たくさん積んできた。
そんな、ほんの、6年間。
本当に穏やかに暮らせるようになったのは、去年くらいからだとおもう。
それまではずっと、
ぐずぐず泣いて暮らしてたから。。
ずっと【人間になりたい】と
願って願って生きてきた。
少しバカを言って、
笑い合うわたしは
わたしの認める
【人間】に
なったとおもう。
#死別
#木のある風景
#人間になりたい
2020.3.23
やまむらみゆき