道満塚から東へ直線で500メートル、谷を1つ越えた山腹に晴明塚があり、道満塚から、うっそうとした竹林や松林を抜ける道がありますが、車で車道を通って行きます。

   いぶし清明塚宝篋印塔  兵庫県佐用郡佐用町大木谷1304  無料駐車場あります

晴明塚に着きました。ここには駐車場と簡易トイレがあり、観光地によくある「顔出しのパネル」もあります。

この先に、安倍晴明にまつわる碑があります。宝篋塔という墓が、この佐用町に残る言い伝えによると、晴明はある目的のためにこの地を訪れました。それは“蘆屋道満抹殺のため”ということのようです。

陰陽師決戦の地兵庫県佐用町の大木谷は、昔ながらの棚田の風景が今も残るこの地で、ふたりの天才陰陽師が戦い、祭られたとされるミステリーです。

晴明堂と書かれた小屋の中には、地蔵や木仏がたくさんあります。

いぶし清明塚宝篋印塔」は、花崗岩製・高さ120.4cmでほぼ完全な形で残っています。様式や手法から、室町時代前期に造られたと推定されています。笠は六段式で、塔身には金剛界四仏の種子(しゅじ、梵字)が彫られています。いぶしは「猪伏」と書いて、この地区の古名だそうです。

宇治拾遺物語』には、蘆屋道満は左大臣・藤原顕光の依頼により、時の権力者である藤原道長の呪殺を試みたと記されています。しかし呪の気配を察知した安倍晴明は呪詛返しを行い、これによって道満の企みは阻止されました。その後、道満は播磨国の佐用へ追放されました。彼は佐用の地においてもなお、道長呪殺を試みたといいます。安倍晴明は尚も道満の呪詛を止めるため、京都から佐用までやって来て、この地で死闘を繰り広げたのです。この晴明の宝篋塔は一体何を祀っているのかな~?。

    カメラ~次回を お楽しみに では またね~OK