日岡八幡神社は平安時代後冷泉天皇の天喜元(1053年)山城国石清水八幡宮の別宮として祭られました。当時は末社も多く社人77人、神馬数十頭を抱える大社で宮の東に馬場もあり神田四町八反を有し供物を栽培しました。
    日岡八幡神社   兵庫県佐用郡佐用町乃井野1051   拝観・駐車場は無料 

味わいの里三日月から三日月藩・乃井野陣屋(三日月陣屋、森家1万5千石の陣屋)の前にある、ルピナスを見た後で日岡八幡神社に寄ってみました。

石段を上がる途中の左側に社殿「高良神社」があります。「竹内宿弥(たけうちのすくね)」を祀っています。天皇六代に仕えた長寿者で、景行天皇から仁徳天皇まで六代というと 300歳になるなど実像ははっきりしていません

この石段を上がると随身門がその先には拝殿があります。随身門の神額「八幡宮」八は鳩が向き合って八の字を模っています鳩は八幡神の神使いです。

日岡八幡神社石清水八幡宮の別宮として祀られ、広大な社領、多くの末社、社家77人の大社であったが、豊臣秀吉による荘園制度廃止、社領の削減、氏子の縮小などで衰退した。1624年に、神社西方にある山林の開墾山焼きの延焼により、社殿、古文書が全焼したが、1656年に神殿(本殿)を再建した。これが現在の神殿である。1874年に郷社となり、1940年に県社に昇格したが、終戦後は社格が廃止となった。

歴代領主から崇敬庇護され、特に播磨国の守護職を担った赤松氏が篤く庇護し社運も隆盛します。戦国時代に赤松氏が大名家から没落すると庇護者を失い衰微しました。江戸時代に入ると三日月藩主森家が篤く庇護され、領内の中心的な神社として社領の安堵や社殿の造営などが行われています。現在の社殿は江戸時代初期に建てられたもので作用町指定文化財に指定されています。

 拝殿右前に力石、重さ50貫(187.5kg)があります。力石というのは、神社・寺院でよく見かけますね。

正面には日岡八幡宮の金文字額が掲げられた拝殿があり拝殿の奥に幣殿神殿があります。神殿には中央に応神天皇右に仲哀天皇左に神功皇后の彩色されたご神体を祀っています。

      カメラ~次回を お楽しみに では またね~OK