玉丘史跡公園内には、根日女の物語の舞台となった5世紀前半造立の玉丘古墳をはじめ、移築復元された1基の愛染古墳をふくめて合計7基の古墳が残されています。

   玉丘史跡公園    加西市玉丘町76    入園・駐車場は無料  

古墳群は前方後円墳、帆立貝式古墳、円墳、横穴式石室墳などバラエティに富み、気軽に見学することができます。また、6,2haの広い園内には芝生広場、古代農園、湿地観察園、野鳥観察デッキ、自然観察園なども整備されています。

玉丘古墳群玉丘史跡公園の中にあり、玉丘古墳、陪塚第1号墳、陪塚第2号墳、壇塔山古墳、クワンス塚古墳、愛染古墳、実盛塚古墳で構成されています。古墳の形は前方後円墳、帆立貝式古墳、円墳、横穴式石室墳と色々ですね~。

播磨国風土記には、前方後円墳である玉丘古墳の云われとして根日女伝説が記されています。それは、根日女と二人の皇子との出会いから始まった、美しくも悲しい恋の物語である場所まで散歩です。

公園内は玉丘古墳だけでなく、いくつかの古墳もありますので、そして散策していますと、埴輪が並んでいて長閑な自然豊かな公園です。

この奥が玉丘古墳で、全長109m、後円部径63m、高さ9m、前方部幅58m、高さ7mの前方後円墳です。兵庫県下で7番目の大きさの古墳で、古墳時代5世紀前半に造られました。播磨風土記玉丘古墳は根日女(ねひめ)のために作られたという話が載っています。

根日女の伝説では、国造許麻の娘、根日女は二人の皇子意奚(おけ)袁奚(をけ)後の仁賢天皇と顕宗天皇)から求婚され承諾した。ところが二人は譲り合って結婚しないでいた。その間に、根日女は年老いて死んでしまう。これを聞いた二人は悲しんで「朝日夕日に日が隠れない場所に墓を作って屍を納め、玉をもってその墓を飾れ」と命じた。そのため、根日女の墓は玉丘と、その村を玉野と名付けられました。

死者を葬った主体部は、高室石で造られた巨大な長持形石棺ですが、明治時代の盗掘などにより、破壊され多くの部材が持ち去られています
      カメラ~次回を お楽しみに では またね~OK