真言宗須磨寺派の本山は、仁和2年(886)に、聞鏡上人が勅命を受けて、当地に聖観世音菩薩像を本尊として奉祀したのが始まりとされています。正式名は上野山(じょうやさん)福祥寺(ふくしょうじ)ですが、古くから「須磨寺」の通称で親しまれてきました。
     須磨寺  神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8  拝観・駐車場は無料 

第二神明道路須磨ICを降りて県道65を下り、須磨離宮公園前交差点を右に行くか~。阪神高速月見山ICから県道21を直進して「高倉トンネル」を過ぎたところ左側に須磨寺の駐車場があります。駐車場からは、天気の良い日には大阪市・堺市方面迄見えます。

エレベーターを利用して境内に、「敦盛塚あつもりづか(首塚)」この首塚(五輪塔)は、寿永三年(1184)年二月七日に起きた一の谷の戦いで、熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の菩堤を弔う為に建立されたものです。因みに、須磨浦公園にある『敦盛塚』には胴体が祀られています。

三重塔は、弘法大師千百五十年御遠忌当山開創千百年平敦盛卿八百年遠忌を記念して昭和五十九年に再建されました。四国八十八カ所お砂踏み霊場があり、各札所の砂をガラス越しに踏んでお詣りが出来ます。平成26年(2014)塗り替えました。

源平合戦の時には、ここ須磨が一ノ谷の戦いの舞台となりました。その戦いで討たれた若武者、平敦盛ゆかりの品々や遺構も須磨寺に残されています。平敦盛の首を洗った池、源義経は、一ノ谷の戦い熊谷直実が討ち取った平敦盛の首をこの松樹に腰を掛けて首を実検したのだとか。首実検の松とも呼ばれる。

仁和二年開創当時の本堂には、松風村雨物語で有名な在原行平が参籠して、勅勘を許されたと伝えられますが、その後、火災、洪水、地震などの災害によりたびたび建て直されました。現在の本堂は慶長七年(一六〇二)豊臣秀頼が再建したものです。

宝物館には、青葉の笛などの平敦盛公と源平ゆかりの宝物や須磨寺の歴史的宝物が展示されています。無料

現在は須磨寺が中心となり一絃琴(須磨琴)の保存活動を行っており、実際に演奏体験やお稽古もしているそう。中には在原行平がひとり須磨の海岸で切なく過ごした様子を楽曲に表した「須磨」という名曲もあり

平敦盛愛用の「青葉の笛」や弁慶の鐘」が展示されています。

源平の庭には、今から八百年前の平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭です。当時十六歳の無官太夫平敦盛が一の谷の浜辺において、源氏の武将熊谷直実に討たれた話は平家物語の中で最も美しく、最も悲しい物語として古来語り継がれております
    ~次回を お楽しみに では またね~