この木津集落にある磨崖仏(まがいぶつ)は、平安時代末期に平清盛が福原(神戸市兵庫区)にいたころから、主要街道として栄えていた鵯越と称する道だったと思われます。

         神戸市西区押部谷町木津     駐車場なし 

東播磨から鵯越(ひよどりごえ)を経て兵庫津への交通路途中にあったため(源義経も一の谷合戦時に通ったとも)、行き交う旅人の安全を祈願して刻まれたものだと推測できます。地元・木津の集落では、明治時代まで伊勢講の伊勢参宮時などには、磨崖仏の刻まれた岩の上まで送迎する風習があり、「サカムカエ」と呼んでいたとのこと(旅に出る際、婚礼などの際に、国境、村境まで送迎する「サカムカエ」の風習は各地にありました)。

断崖に刻まれた磨崖仏(まがいぶつ)が木津の磨崖仏。礫岩と砂岩の崖(高さ5.6m、幅100m)に刻まれた像高42cmの阿弥陀如来坐像とその左右に3体ずつ配された像高25.2cm~28.5cmの六地蔵が並んでいます。

この木津集落にある磨崖仏(まがいぶつ)は、平安時代末期に平清盛が福原(神戸市兵庫区)にいたころから、主要街道として栄えていた鵯越と称する道だったと思われます。細粒の砂岩層の岩盤となっており、そこに高さ約32センチ、幅約2・2メートルにわたって彫りくぼめた中に、阿弥陀如来坐像と6体の地蔵菩薩を厚肉彫りした石仏があります。

木津の磨崖仏の手前には、木津の滝 落差10m、下段の落差は4mぐらいの総落差で10mほどの滝があります。

  ~次回を お楽しみに では またね~