淡河城は播磨一帯の豪族であった淡河氏の居城として知られています。戦国時代には別所氏に属し、淡河定範が城主であった1579年(天正7年)に羽柴秀長の攻撃で落城し、有馬則頼が城主となりました。

   神戸市北区淡河町淡河380     道の駅淡河に駐車 

淡河城は神戸市北区淡河町にあり、道の駅淡河コンビニ脇の小路を通って整備された斜面を登り、淡河の里を眼下(比高差約20m)に一望できる河岸段丘上端に築かれたこの城は、淡河氏代々の居城でした

このお城は地元の熱意により、綺麗に藪が取り除かれ、また立派な案内板も設置され城跡は見事に整備されました。二階隅櫓はその整備の際、地元の意向により休憩所として遺構を壊さないように土を盛って作られたものです。

小高い山の頂上に本丸跡が残されています。回りはほとんどが畑となっており、本丸跡は稲荷神社としてかろうじて残っている感じです。しかしその本丸のまわりには内堀跡がありその辺りがかつて城であったことをはっきりと物語っていました。

天守台跡の、南側に内堀がある。内堀は一部のみとはいえ、しっかり残っていた。傾斜はきつく、敵を寄せ付けまいという意図が十分に感じられる。深さは3〜5メートル、幅は15メートルほどありそうだ。本丸の南西隅が本丸跡とされている

本丸の南東には竹慶寺跡があり、矢狭間がいくつかある白塀が作られています。境内には城主淡河氏代々の墓碑があります。

   ~次回を お楽しみに では またね~