12月25日 長男は千葉から戻ってきました。久しぶりに皆に会い 後輩を応援し 試合は26日まで

続くのですが、我が家の事が心配で 早めに戻ってくれました。私の病気の事は 部員の方には

伏せていたようです。既に引退もしており各々 各進路を検討している時に 話せなかったようで

唯一共に切磋琢磨してきた一人には相談していたようです。監督もご心配くださりメール等

連絡もいただいてました。私は と言えば MAX 辛い日⤵⤵こんな日に 帰ってこなくても……

の思いもありましたが 12月です。リビングには いつもは出してない こたつが ありました。

この こたつが また いーい仕事してくれたんです。次男を部活に送り出すと 一人きり。

リビングでは寝っころがる事など 一度もなかった 私。起きてると体が辛いのでベットで

横になるのがベストなんだけど、そんな姿を見せたら心配させてしまう、と浅はかな私の考え。

辛いときは辛いって言えばいいのにね、それができなかったその頃の私。愚かでした。


長座布団を敷き その場で動かずこたつに入ってじっと 冬眠。時折トイレに立つけど また

冬眠。次男が帰ってきてお昼を食べさせ、テレビを見てるふりしてまた冬眠。長男は到着時間を

連絡してきたけど もよりの駅から ランニングで帰るって言ってくれたし 夕飯は 昨日の妹の

作ってくれたカレーもあったので 台所に立つこと無く また冬眠。長男が帰ってきて

" やっぱ調子 悪いやんかー" と言ったときの私の言った言い訳は

 ""  今回の抗がん剤は、なんだかすごく眠いのよ~ 薬が変わったからかな~ "" って、

嘘ばっかショボーン です。 ずーっと こたつで 冬眠して体が痛いのも吐き気もあったけど 食べてない

から出るものも無いし じーっとしてることで体力も温存できた。 今日は何とか乗り切ったけど

明日はどーなるのか 何とか騙しきれるか そんなこと考えてた 25日。サンタさんも来ない

クリスマスだったけど、今思えば 命をプレゼントされたのかもしれません。