妹がきてくれ ナースステーションにご挨拶して退院となりました。駐車場につくなり

" お姉ちゃん タブレット貸して " と。ん? いいけど なんでと聞いた私。だってお姉ちゃん

この前のみたいに お宿予約しちゃうからさー "って。妹には言えないけど 今回そんな元気

無いし。 "" 信用無いな~行かないから大丈夫だよニコニコ気が変わるかもしれんけどね   ""と言った

私。弱味は見せたくなかった。既に だるいのは きっと副作用……今回は 速い、速すぎる……


街はクリスマス一色で華やかで 歩いてる女の子も 女性も年配の方も 私から見たら みんな

うきうきした足取りにみえて うやましかった。これから私は副作用との闘い。わかっちゃー

いるけど 雲泥の差。退院して向かったのは母の入院してる病院。術後 9日 1歩1歩歩む距離を

増やし高齢の母には 辛いリハビリだった思うけど 理学療法師さんの指導のもとリハビリ室

でも頑張ってくれました。抗がん剤前と入院中のたった 何日かしか会ってない母でしたが

しっかりした足取りに驚きました。母も口には出さないけど 早く退院して 私をサポート

しなくては、の思いがあったんだと思います。でも、現実は そんな甘いもんじゃーなかった。

退院を12月30日にしたいと希望していた母、あまりに速すぎる気がして 後日 主治医の先生と

面談をしたいことを看護師さんに伝えた。肉魚の食べられない 母の病院食は これで栄養は

大丈夫か?と思うようなメニュー。術後 飲み込むのに負担がないように 刻み食にしてください

ましたが、9日経ってもそのまま。食欲もわかなかったようです。糖尿もあり血糖が上がるのを

心配して売店での購入や妹の食材の持ち込みもしてなかったようで 先ずは刻み食から

普通食へ変更してもらいました。元々小柄だった母の体は 2回りも小さくなったように見え

体重も ぐんと 減ってました。

お互いが術後、母は私を思い 私は母を思い このまま退院したらお互いがつぶれてしまう そんな

心配さえありました。抵抗力の低くなる私は病院に長居するのは危険で 早々に帰らなければ

なりませんでしたが、母も個室だったためなかなかその場を離れることはできませんでした。

抜けはじめた髪や眉の事、ケア帽子を取りこんな姿になってしまった、と話したと思います。

母の胸の傷も大きく体の負担にならないか心配でした。

妹は仕事をしながら 1時間はかかる我が家まで 家の事を手伝いに来てくれ 私の病院の送迎、

母の病院、自分の家の事 大変な時期を過ごし 感謝の言葉しかありません。

2014年10月からは我が家にとって激動の年となりました。