以前の事を書きはじめようと 思い立ってみたものの   はて?  どこからが 以前の事?  と

思ってしまった 私。主人との 溝 は現在進行形 (より以前より深刻かもびっくり) 鉄仮面 とも

平行線だし。でも 毎日があっという間に過ぎていき 気がつけば 突然の子宮体癌宣告から

もうすぐ 2年が経とうとしている。何の兆候もなく 子宮癌検診に行ってないな~と

思い立って訪れた婦人科で まさかの内診台の上での 癌 宣告。心の準備なんて まったく

なし!診察室に戻り " 検査の結果が でないと わからないからね " とほざいた医師ムカムカ

さっき 癌だ、癌がある、癌だ と3回もいったじゃないか!と言いたいのを グッと我慢した。

その後 病院を代わり 信頼ある先生から現在の病院を紹介され 現在に至りますが、思えば

いろんな事がありました。長男に blog 書いてみたら と言われたのに 書けなかった

アナログな私。でも きっと あの頃の私は 書けなかったと思うのです。冷静でなかったから。

闘う気力も生きる意味もわからなかった 私の精神状態、体だけエスカレータに乗せられて

気持ちは置き去りなまま過ぎていった日々。子供達に どう話そうと 主人に相談しても

そーだな と言ったきり何も言わなかった。病院からの帰り道、約1時間余り 結論の出ないまま

無言の主人にしびれを切らし  ""  自分の事だから私が話す、もし取り乱したり 話せなくなったら

援護射撃して "" と自宅に到着するなり そう言って家に入った。( 我ながら 男らしいアセアセ )  

後日、佐々木健介さんが 北斗 晶さんの 癌の事をお子さま達に伝えたことを聞いたとき

うちとは雲泥の差だった事に落胆を覚えた私でした。癌になったのは 私。誰も変わって

くれるはずもなく 自分で乗り越えるしかないけど でもそこに支えになってくれる人が

いたら 心強いと思うんです。 "" あんなご主人だったらな~ "" と思ったのは ほんとに

うらやましかった。決して仲の悪い夫婦でなかった私達。それも私の思い込みか?

子供の成長を楽しみに 同士だと思ってたのは 私だけだったのか……

子供達に前に座ってもらい主人と実母も同席して かしこまった私に " 一体 何が始まるの? "

とちゃかした長男に 大事な話があるんだ。と切り出した。 泣くこともなく、取り出すこともなく

病院で言われたこと、手術が早まったことも 子供達に冷静に 伝えた。泣か なかった。

泣け なかった。泣いたら 皆が動揺すると思って気丈に振る舞った。私の中は不安でいっぱいで

怖くて仕方なかったけど 大丈夫だからニコニコって。平気な顔で過ごした。笑顔を覚えてほしくて、

元気な姿を覚えていてほしくて ただ ただ それだけの思いしかなかった。

一番力にしてたのは 主人だったのに 主人は私を支えるどころか、起きてる現実から

目を背けた。挙げ句に 11月 寒さに向かう夕方、私を外に置き去りにした、

そして置きざりにしたことさえ  忘れた。

風邪でもひいたら手術できなくなるのに。主人の中の私の存在価値は どれほどだったのか……

私を 鉄の体に鉄の精神 を持ってる とでも思っていたのか。のちに現実を受け止められ

なかったと言った主人。逃げたいのは 患者の私、嘘だって言ってほしいのは 患者の私、

現実を見たくないのは 患者の私。私の選んだ 人 は こんな人だったんだ、と思うと なんとも

いえず 情けなく複雑で。その後の検査でも 待ち合いで 寝る、先生には何も質問しない、

病気の事も 調べない、それが 私の選んだ 主人。26年共に過ごしても見抜けなかった 私の目は

節穴だった……それを 気づきたくなかった私が いたのかもしれない。26年の中には いろいろな

ことがあった。その都度相談もしたけど相談しただけで 主人からの意見は 無かった。決断

したのは いつもの私だった。相談した という私の自己満足、勝手に決めたんじゃない という

言い訳のために 話をしただけだった、それに 26年気づきたくない私が いたんだ……


術後 早い段階で 緩和の先生がついてくださった。手遅れのためか と思った。手術前からの

出来事で精神的に不安定だった私。回復が遅く手術前も手術後も食事がとれず 心配された

と先生のご指示だったのかもしれないけど、残ってる 癌 今後は 緩和で過ごすんだと思った。

その頃の私は もう どーでもよかった。生きる意味もわからなかったから。でも 緩和ときいて

"" いよいよ最後 か……短い人生……""と思った。どこから来るかわからない熱と痛みに

昼夜問わず苦しむ私が ベッドにいるのに そこでも寝てしまう 主人。私がこんなに

苦しんでるのに よく寝れるなムカムカムカムカと怒鳴ったことも ある。個室だったため気を使わなくて

済んだ事は 幸いだったけど 簡易ベッドを借り付き添いで 妹や長男がついてくれたけど

2人とも眠ってる姿を見たことが ない。心配で家に居られない母は 昼は妹や長男と交代

するために 主人と病院に来た。 (主人は長期で会社から休みをもらってた)  病室で大口開けて

イビキまでかいて 寝る主人、腹立たしくてイラついて 枕を投げたこともある。苦しむ

私の前で そんなことする神経も 私にはわからなかった。読まれる方は信じられないかも

しれないけど これは真実。私は年内 生きられないかもと 告げられてる主人なのに その頃

の私は そんな自分のおかれた状況は知らなかったけど 普通ならできないことだと思う。

まして自分の伴侶、子供達の母親。生きるか死ぬかの状況で いくら私が付き添いを拒否した

としても夜は自宅で寝てるはず。昼間 妹や長男と交代する数時間さえ 痛みと 熱に苦しむ私に

まともにつくことさえできないのか…… "" 寝るなら 帰れ!! "" と怒鳴ったことも ある。

私の精神衛生上 良くないと判断された 緩和の先生は 話し合いの場を作ってくださったけど、

もうすぐ先生がおみえるというのに 主人の実兄からかかってきた電話のために部屋を出て

30分も戻ってこなかった。先生は忙しい中 おいでくださったのに、だ。

ここまで書いたことは まだまだ序ノ口。以後これ以上の いろんな事が起こり その都度 主人とは

寄り添えない という思いが深くなってしまう私でした。んーんやっぱり 辛いなー 思い出す

ことも 現在も。でも私の主人で子供の親。きっと私の方が先にいなくなる可能性が 大 で

しっかりしてほしい と思う主人、私の希望です。ご夫婦で共に闘ってる方々が やっぱり

うらやましいとうことも 多いです。でだしから食い違った私達は このあとも トラブル のです。