先に書きましたが 長男の事を少し。

なかなか授からず8年かかって生まれた子は 4000gを越える超big サイズ!だから

帝王切開になった訳でなく頭囲から2900~3200gと言われ普通の分娩を希望してました。

予定日より9日早く陣痛がきて1時間 間隔になるまで家で待機してましたが

なんとな~く友達の言う陣痛と違う気はしてましたが 普通に動け、食べ、笑い時に

痛~い って言うぐらい。でも間隔からすると病院に行った方がいい気がして 夜中の

入院になりました。妊婦さんが座ると楽になる椅子に座り痛みを逃していましたが

(その時も主人寝てしまったんだよね~)陣痛 止まっちゃうんです。朝までしっかり

眠れ、朝御飯、昼御飯もペロリと完食、お昼寝もバッチリグッ時々 痛いな~

と思っても すぐ痛みが引いてしまって。15時頃S先生がみえて レントゲン撮ります

と言われレントゲン室へ。20分くらい経った頃 "" このままだと赤ちゃんが降りて

こられません。急ですが帝王切開になりますが 良いですか? ""  良いも悪いも

赤ちゃんがたいへん一大事!速攻でOK し手術は16時開始となり準備が慌ただしく

始まり 産まれてはじめて big サイズだった子に S先生はじめ看護婦さんも驚かれ

たのです。ちょうど出産ラッシュで新生児室には毎日1、2人増え長男が生まれた頃は

10人ほどだったでしょうか。新生児室の一人一人専用のベッドに寝かされ一人だけ

飛び抜けて大きい我が子は2、3ヶ月過ぎの子のようでした。ガラス越しに面会に行く

のですが我が子をみて "" ねえ~ねえ~あの子すっごい大きくない?40○○gだって、

すごくない⤴⤴どんなお母さんが生んだんだろ ""  行く度に聞こえてくる驚きの声に

"  私ですけど なにか?  "と言える度胸もなく小さくなってた私です。今とうって

代わり155cm 弱 出産時57kgの体重は出産前の体重よりもずっと減ってしまうのです。

次男を授かるまで更に5年。どちらも一人っ子のように育ってしまいました。

小学1年の時、近くの中学でテニスを見た長男は テニスしたい と言いましたが

次男が1才 私は仕事に復帰したばかりで " もう少し大きくなったらね ~" と誤魔化して

いました。小学3年になって もう 大きくなったでしょ という長男に 本気なんだ❗

と思いテニスクラブを探します。が、うちは田舎じゃないけど へんぴなとこ。

1才の次男連れて通うのは容易ではなく諦めかけた頃

子供は教えてないかもしれないけどいってみる?子供がいたとしてもすっごく

厳しいから続かないかもしれないけど……

と教えてくれた方の紹介で M コーチに出会います。なかなか上達しない長男ですが

M コーチからどんなに叱られてもきつい練習でも休まず週1日の練習から週7日(毎日)へ、

お盆も正月もありません。コートを持っていらっしゃらないため日々変わるコート

への送迎もあり 私ができない時は20kmほどのある距離も自転車で通いました。

テニスバカです。(そんな息子に付き合う母もテニス母バカですが)残念ながら

天才には生んでやれず、本人が努力するしかありません。勝てない試合に主人は

負ける試合見てもしょーがないと言ったことがあり、それが私に火をつけます。

どんなことも私が支えると。練習も試合もどこでもいきました。そんな中チャンス

をつかみ、中学3年の時 全国中学生大会(全中)に出場することができ 敗退しましたが

関東の高校からお誘いを受けました。地元での推薦入学もほぼ決まっていたのですが、

M コーチの御助言もあり関東に行くことになりました。本音の本音を言えば行かせたく

なかった。15歳になったばかりの子を手放したくなかった。強豪高に行って活躍できる

保証は無いからです。でも息子は行きたい、頑張りたいやってみたい、その気持ちを

優先することが息子の為になると思い私の気持ちは口に出す事なく送り出しました。

周りの子は皆地元の高校へ進学し近県へ出るお子さんも1人のみ。もとより関東へ

寮生活させる私達を周りはなんと思われたでしょう。中学の先生も

"" 途中で身体壊して辞める羽目になるのでは?その保証がないかぎりだせません。

一度顧問の先生にお越しいただきたい ""そう言われました。


入学当時は同期の中でも中レベル。試合も勝てず、1年のインターハイを逃します。

泣いて電話してきた息子は 次は絶対チャンスを逃さない。絶対、選抜のメンバーに

なって  おっかーを博多に連れていく。遠いけど来てくれ❗2度とチャンスは逃さない。

といい その後は全ての試合に出場します。その後、部活だけでは足りず部活後クラブへも

練習に行くことになり、2年の後半までは私が仕事を終えて高速かっ飛ばして練習や試合

へ同行し、3年前半は単身赴任の主人がサポートしました。本人の努力もあり、

3年のインターハイでは団体戦 個人戦共に活躍してくれました。


離れている為 一層心配してくれ、私達が支えてきたことを本人は口には出さないけど

感謝し 自分の頑張りが今度は母を支える事になると思ってる息子です。

お読みいただいた方には 単なる親バカ にしか思えないでしょうし こんな文面に

お付きあいいただきありがたく存じます。ですが、この長男の頑張りが 今後の

私の治療に大きく作用する事になるのです。