先日MINAが演奏のお手伝いにお邪魔しました★
獅子舞のみの出演ということで、皆さんベーシックに法被です。
東海太鼓センターの打歓人(ダカント)さんです。
向かって左から、堀江くん、板谷さん、西尾さん。
堀江君は、ボディーワークというか、身体の事に関して物凄く詳しいのです。
友永親子が好きな話題と共通して盛り上がれる趣味の話題もあります。
西尾さんは語学堪能、機械にも無茶苦茶くわしくて、見た目を裏切らないあったか~いキャラ^^
板谷さんは、もう15年のお付き合いです。
そこで、
今回は、せっかくですので、板谷さんとの繋がりのご紹介をさせていただきます♪
MINAの後ろにいらっしゃる(後列中央)のは、打歓人代表の板谷倭琴さん。
実は、私が初めて太鼓を習うこととなった”大須太鼓保存会”で、当時講師をされていたので、
私の太鼓の歴史は板谷さんとのお付き合いの歴史とも言えます^^
太鼓と出会ったその日から太鼓バカと化した私は、一日も欠かさずバチをもって家で練習(結果ソファの骨組みが曲がるわ、マンションの方から『何かがウルサイ』とクレームがくるわ・・・・)
し、鉦やら笛やら、何でもやってみたい!
はやく全曲出演したい!
もっと沢山のことをやれるようになりたい!!!
と頑張っていました。
そんな私に色々な人が道を作ってくれました。
この時、板谷さん率いる太鼓センターの演奏集団が『けやき座』でした。
ここへ入る事になったのも、板谷さんの声掛けのおかげ。
こう見えて、非常に引っ込み思案で自分から前へ出ることが苦手だった私は、
板谷さんが『けやき座へ来ない?』と誘ってくれなければ、
『入りたいなぁ』と指をくわえているだけで終わっていたかもしれないし、
しいては今の私も無かったかもしれません。
このけやき座でお囃子や伝統芸能を沢山学びました。
古典というものは、ただのコピーではいけないし、
まずはその神髄を学んで、そして手を加え舞台へあげる。
伝統のものをきちんとできる奏者であることは、和楽のモットーでもありますが、
これは、けやき座時代の財産ですし、特に江戸寿獅子の、全部のパートを習得できたのは、私の財産です。
そして、けやき座が解散し、名古屋初のプロ団体として『打歓人』に生まれ変わるときに、
太鼓センターの社長のお声かけがあって、30歳という年齢で『太鼓のプロ奏者になる』道が
できました。
本当に皆さんのおかげで、トントンと進んでこれたんです。
なので、いつも頭の中にあったモチベーションが
『誘って下さった方が、あぁ、友ちゃんを誘って良かったな、と思って下さるように、チームに貢献できるレベルの奏者になりたい』
でした。
今こうしてMINAが板谷さんと同じ舞台に立つことは本当に感慨深いです^^
だって、出会ったときは、MINAは小学校1年生だったんですから(笑)
板谷さんの『現役魂』には、刺激をいただいています。
さて、ダカントさんといえば、この衣装、今でもシーンに合わせて使っていらっしゃるようですが、
我が親子も、1~2度だけ着たことがあります^^
写真、以前ブログに掲載したものが残ってました!!
今後も、ダカントの皆さま、親子ともども宜しくお願いします*^^*