こんにちは。神木保祐(かみきほゆう)です。
昨日は、1月9日だったのに、1月10日の記念日を書いてしまったことに、先ほど気が付き落ち込んでおります。
今日は何の日は重複するので、今日はお休み。
先日、友人と俗にいう毒親について話をしましたので、その感想をあげます。
この手の話題が嫌いな人はご注意ください。内容が重いです。
毒親とか言われる家族は本当に厄介です。
幸せな家庭に生まれている人にはなかなかわかってもらえないし、できることなら自分も家族と仲良くしたかった。
正直、まともな家族がうらやましい。
そんな感じかしら?
自分の身を守るために、切り捨てるしかない人もいるだろうな。
最近気が付いたけれど、みんな口にしない(やっぱりしにくいのかな?)けど、家族と上手くいっていない人が意外といるんだなって事を知ってほしくて、ブログにしてみました。
他にもいる、自分だけじゃないと思うとちょっとは気が楽にならないかな?
親や家族は自分で選べないと思っているけど、スピリチュアル的にはそうではなくて、ちゃんと課題を自分で選んで生まれてきているんだってこと、らしい。
特に、両親を分析すると、この世に自分が何を学びにきたのかが解る…というのですが。
そうは言われても、ハードな課題もあるわけで。
そんなの学びたくないよ!って思うこともあると思うのよね…。
子供から大人になって、親を一人の人間としてみるようになるからね。
その時に、あ、うちの親、最低、毒親かも?とか思うとつらいよね。
世の中まともな人間とそうでない人間がいるわけで、たまたま、まともじゃない方に生まれてきてしまっただけで。
さらに最悪なのは、親族もまともじゃないパターンで…。
誰か、まともな大人はいないのかって話ですよ。
毒カエルの子は毒カエルのパターンか鷲がトンビのパターンか。
毒カエルに毒は効きませんから、毒にやられないうちに逃げるが勝ちですね。
「自分の名前がネット上にあがると親に探されてしまうから」と。
身元がばれると、親がたかりにくるのだろうと推察。
そんな体験をする必要はないのかもしれないが、私はまだまだぬるま湯だと思った。
上を見ても下を見てもきりがないけど、少なくともそんな風に子どもに思われてしまう親にはなりたくないと私は思った。
自分メモ
①キリスト教には「汝の敵を愛せよ」という有名な言葉がありますが、誰でも嫌いなものに「愛情」を感じることはできません。しかし、嫌いな人を「愛する」ことはできます。相手を大切にすることは自分への命令によって可能だからです。
②父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。」(ルカ23:34)
自分を不当に扱った人を赦す力を求めて祈ってください。怒りや恨み,復讐心を捨ててください。また,人の欠点にばかり目を向けたり,人の弱点を大げさに考えたりするのではなく,人の長所を探すようにしてください。あなたを傷つけた行為は,神が裁いてくださるでしょう
神様の手にゆだねるのも大事ですね。
キリスト教徒ではないけれど、赦しとなると、イエス様は外せない。
↑こんなの解っていて、どうしようもなくて、手放さないといけない時もあるんですよね…。
切ない…。