それぞれの3月11日 | キャバリア・コテージ

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空と土と水と緑とキャバリアと

7年前の3月11日、まうは都内のマンションで一人でお留守番中でした。

突然の大きな揺れ、物の落ちる音、繰り返す余震の中、だんだん暗くなってくる部屋に独り、どんなに怖く寂しかったことでしょう。

にいたまが18時くらいには帰宅できたので、それほど長時間のことではなかったのが幸いでした。

震災以後しばらくはテレビのニュース速報の音、緊急地震速報の音、えだっちの声におびえていたまうなのでした。

 

2011/4頃

 

7年前の3月11日、ソフィは埼玉県内の繁殖場に居たと思われます。

たくさんの仲間がいたようですので、寂しくはなかったかもしれませんが、埼玉県もかなりの揺れを観測したはず。

どんなに怖かったことでしょう。

 

2013/1頃

 

7年前の3月11日、リオは岩手県に居たのかな。

岩手県は相当揺れたはず。

独りではなかったんだろうか。

家族と一緒に居られたんだろうか。

リオは覚えているんだろうか。

 

2017/3/11

 

7年前の3月11日、地震発生直後に「うちに帰ります!」とすぐに会社を出たにいたまは、徒歩とタクシー(本当にたまたま空車と出会えたそう)で18時頃には帰宅してくれました。

部屋の中を片づけたり(多少物が落ちて散らかっていたそうです)まうの世話をしたりして、連絡がつかない私を心配しつつ待っていたそうです(地震直後に一回、21時頃に一回、それ以後は電話もメールもつながらなかった)。

 

7年前の3月11日、私は某夢の国の最寄り駅近くの仕事場でパソコンに向かっていました。

かなりの揺れ、地面から泥が噴き出してくる液状化を目の当たりにし、入口に1m近くもの段差ができ、水も出なくなり、遠くの石油コンビナートが炎上している煙が見える仕事場で、それでも19時半くらいまで仕事をしてから徒歩で帰宅の途につきました。

徒歩とやっと動き出した電車とで帰宅できたのは夜中の2時過ぎ。

にいたまと実家の無事は確認できていたのでその点での心配はなく、比較的落ち着いて行動することができたのは有難いことです。

その後数ヶ月、会社は仮設トイレで大変でございましたが。

 

 

7年経っても今なお大きな傷痕を残している東日本大震災。

ペットや家畜、野生動物もたくさん被害にあったことでしょう。

みなが穏やかで落ち着いた生活に戻れますように。

傷ついた魂みなが癒されますように。

戻ってこられますように。