五百段階右折のたけだにふと言われた。
『過去の仕事場の話とかよく聞くけど、なんでそんな怒鳴られることあるん、俺そんなこと全然ないで』
と、悪気なく聞かれた、むしろ弄り的なものだったのだと今は思う。たけだ氏、ごめん。
何も考えていなかった自分は、
『いやー、僕が使えなかったからでしょ!
くら寿司ではSVにこいつ使えへんから洗い場に突っ込んどけとかめちゃくちゃに言われましたわ!(笑)』
みたいに返してしまった。
やばい返し、面白く返せたら良いのに。
すぐかわいそうなやつムーブしてしまう。あかんところ。
でも、そう、自分の過去の職場を思い返すと、自分的にはとてつもなく理不尽なことでめちゃくちゃに怒られる場面が多々あるのである。しかし思い出していくと理不尽でもないんかな。
ここから先は、仕事の思い出とかを自分語りしています!
そういうのが苦手な方はスクロールせずバックしてください!
わでぃの過去を知りたいと思った方はスクロールしてね!
ただ注意してほしいのは、色々あったけど、
今は幸せだよってことはわかっててほしいです!
初めてバイトしたのがくら寿司。高校生から短大まで
5年半ぐらい続けたが、最初の2年ぐらいが本当に最悪だった。
思い返すと正直ほんまに使えない人材だったので、ボロカスに言われても仕方なかったと思う。
パニックになって癇癪を起こしたこともある。
それでも見捨ててくれなかった先輩方と友達にはほんまに今でも感謝してる。
ある程度使える人間になったのはほんまに3年目以降ぐらいから。
2個目の職場は児童養護施設。正社員(20から22歳まで)
ハチャメチャに大変な職場やった。
子どもたちはほんまに全員可愛かったし、仲良くもなれた。
遊戯王カードでバトルしたり。野球部で野球したり。
大縄跳び大会で優勝したり。
いい思い出もたくさんある。
でも、仕事面で言うとやっぱり使えない人材。
まず遅刻が止まらん。
5分遅刻、10分遅刻当たり前。
この時点でよくない、本当によくない。
あと出すべき書類が提出できない。
後回し、後回しを続けて、最終的には提出できない。
そんなことが続いていたから、ひょんなタイミングで机を思い切りぶっ叩いて怒鳴られたり(普通に泣いた)、なぜかお腹を殴られたり、終業時間になったら心理士さんに頭をしばかれたりしていたのだと思う。
3個目の職場は喫茶店。(22歳から26歳ぐらいまで)
結構有名な喫茶店。
仕事自体はわりかし問題はなくこなしてた…けど
やっぱりここでも遅刻、遅刻の押収。
梅田の地下の喫茶店だったが、そこでは面倒見てもらえて
遅刻はするが、めちゃくちゃ働く人間だったので大目に見てもらえていた。
異動してからがもう最悪、怒鳴られることはなかったが、
険悪な空気、無視、働いていて楽しくない、一番最悪な状態。
自分の行いのせいだが、結局しんどくなって辞める。
↑の間に警備員の仕事もやるが、そもそもまずきつい、しんどい。
・41℃の中走り回され、休憩もろくに取れず死にかける。
・休憩中寝てたら、『お前何寝とんねん』とキレてしばかれる。
警備員に関しては?が多すぎて辞める。
4個目の職場はパスタ屋さん。(26歳)
この前見に行ったら潰れててちょっと悲しい気持ちになった。
特段大きな問題とかは特になかったが、朝がめちゃくちゃ早いのと、やっぱりちょくちょくある遅刻のせいで信頼度は低め。
あと目の前で社員が精神的に潰れるのを目撃して、ここやばいなって思ったのを今でも覚えてる。
そしてなんやかんや言うてる間にコロナ禍が来たので、就職先を探し始める。
↑この間に某大阪の有名でスタジオなJAPANで働く。
ゲームのブースで働く。
初日で、めちゃくちゃに盛り上げる。
その日のMVPみたいなのをもらうが、変に目をつけられて自由が効かなくなり、しんどくなってやめる。自滅。
5個目の職場(26歳から28歳まで)
某焼肉がライクなお店で働く。(過去エピソード長め)
就職するということもあって、何とか意識をして遅刻を本当に出来うる限り少なくすることを心がける。
当たり前の事やけど、意識しないと出来ないのが自分。と言い聞かせまくり、何とかルーティン化することを心がける。
コロナ禍ということもあって、社員同士は仲も良く、楽しく働く。1年目はかなりワイワイと働いて何の苦痛もなく過ごす。
1年半経ったぐらいに、社員が1人飛んだ流れで店長になるかならんかの話が自分に舞い込んでくる。
その時は物事あまり重く受け止めていないので
『やります!』
の一言。
地獄に一歩足を踏み込んだ瞬間である。
半年ちょっとは、必死に店長業務を覚えながら働く。
こんな自分だが、シフト作ったりもしていた。
今となっては自分が作ってる姿、想像がつかない。
最初の店舗ではバイトとの関係値も上手く作れて、
年齢もそこまでみんなと離れてもいなかったので、
皆と呑みに行ったり、遊んだりして楽しく働いていた。
ただまだコロナ禍の流れもあったので
あまり忙しくもならず、売上もそこまでだった。
その関係でひょんな事から異動になる。
異動になった時、バイトたちが皆で花束とか
そんなものも用意してくれて、本当にありがたかった。
人生で一番ちゃんと働けてたんだなと
思えた瞬間だった。
そんな気持ちも束の間。
異動してからは最悪、底辺。
店舗を立て直しをしないといけないのだが、バイトからも舐められてる、シフトは埋まらない、終電逃して歩いて帰るなど、
立て続けに地獄の状態が続く。
なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃ。
あ、無理だ。怖い。出勤が怖い。
朝、改札を抜けた先で胸を押さえて動けなくなる。
動機が止まらなくなって動けなくなった。
『あ、人間って完全に精神的に潰れるとこんな状態になるんや』
って心の何処かで思いながらも、何とかしなきゃと考えるが。
店に近づこうとするが、近づけない。
その日に休ませてください、病院に行かせてくださいと伝える。
病院に行った先で伝えられたのは
『適応障害ですね、入院することも出来ますがどうされますか?』
と伝えられた。
…今思い出しながら文章を綴っているのだが、あ、俺入院する?まで言われてたわ!とびっくりしている。
そのことを職場に連絡をし、伝えたら、
結構ドライな感じで特に引き留められることもなく退職という流れになった。
その後、
入院レベルの適応障害だが、じっとすることが出来ず、
前の喫茶店に戻って仕事したり、焼き鳥屋で少しだけ正社員をしたり、いろんなことを経て、今に至る。
その後数カ月は休み、就労継続支援A型に通い始める。
メンタル面も回復し、色々見込んでもらって、
今は妻が働いている職場に雇ってもらい、今はとある施設の施設長をやっている。
周りにかなりサポートを受けながら、遅刻もせず、働けている。
ここで仕事の話は終わりだが(たけだの一言からあまりにも過去を掘り起こしすぎた)
今までの文章を見て、なんとなく察していると思う。
・パニックになって癇癪を起こした。
・遅刻グセがすごい。
・入院レベルの適応障害なのに、じっと出来ない。
・何故かも分からないが怒られることが多い。
これら全て、施設長をやる前に理由がわかるのである。
なにかおかしい、多分自分は普通ではないかもしれない。
と考えた結果、心療内科できちんと検査を受ける。
結果、発達障害があることがわかる。
そう、僕は発達障害の診断を受けたのである。
発達障害には、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如多動症(ADHD)、限局性学習症(SLD)の大きく3つのタイプがある。
そのうち僕が診断されたのは、
注意欠陥多動性障害(ADHD)である。
注意欠如多動症(ADHD)
発達障害の種類のひとつ 。注意し続けることができず作業にミスを生じやすい(不注意)、落ち着きがない・待つことができない(多動性・衝動性)などの特性をもつ 。不注意と多動性・衝動性の両方がある場合と、どちらか一方が中心に現れる場合がある。
引用元:発達障害関連ワード集
https://www.otona-hattatsu-navi.jp/know/words/#med_type01
今よく聞くと思う、発達障害。
ADHDやら、ASDやらなんやらと。
僕は、当事者であった。
仕事で潰れてから、正直生き辛さをすごく感じていた。
今でも思う。
もっと楽に考えることが出来たら良いのに、もっと効率的に動けたら良いのに。
凄く色々考える。
その無駄に考える所も、正直特性から来るものである。
(今、自分の発達障害の診断を受けた時の紙を見ながら話してます…)
特性からくるものやから仕方ないんや!わー!
と言えるわけもなく、悶々として結果的に気分が落ちていく。
自分でも思う、とてつもなくめんどくさい。
でも、診断を受けて、少し楽になった部分もある。
物理的に出来なかった、対策が取れなかったことで苦しんでいたんだと思えた。
今は薬を処方してもらって、飲みながら全ての活動をしている。
遅刻ぐせはそれのおかげでかなり緩和された。
たまに爆弾みたいな寝坊とかやりがちですが…
まあそんなこんなで、
もはやカミングアウトに近いことをブログで綴りました。
しんどいこともあるけど、楽しく幸せな飽きない日々過ごせてると思うからさー!
暖かい目で見守ってくださいやー!
というわけで、以上!!
