『天神多久津魂神社』

 

対馬の北部を上県、南部を下県という。

(「県」は「あがた」と読む)

律令制の国・地名においては京の都に近い方が上、遠い方が下となっている。

しかしこれも東海道の話で、西海道の、筑前/筑後、肥前/肥後、豊前/豊後はいづれも太宰府を中心に決まっているという。

対馬では、太宰府に近い方が下県、遠い方が上県。

これについては諸説あるが、こうした地名の決定過程一つをとっても、対馬史の複雑さを感じる。

 

この『天神多久津魂神社』は、上県の佐護にある。

下県の豆酘(つつ)に、対馬に古くから伝わる天道信仰の中心と目される『多久津魂神社』がある。

 

佐護の『天神多久津魂神社』は社(やしろ)はなく、背後に聳える天道山を遥拝する祭祀場として古来よりの信仰を伝えている。

 

天道山の南、雄嶽の八合目辺りに磯石を敷いた場所があり、そこが古い磐座、天神を祀った霊地と目されている。

天道(テンドウ)というのは日神とその童子のことで、天道と名付けられた童子は、僧となり一旦は上洛した。

霊亀2年(716)に時の天皇の病を治し、その褒美として対馬の年貢を許されたという。

行基上人を誘い対馬へ戻り、商人は現在も対馬に残る6体の観音像を刻んだ。

天道法師は豆酘の隣、浅藻の卒土山に入り、ここで入定したという。

それが、天道信仰の聖地、八丁郭にあたる。(参考・「美術手帳」)

八丁郭には、8日早朝に拝することができたのだが…それはまた別記事にて。

こうした石塔が2基ほど築かれていた。

神を迎える門としての意味が考えられる。

 

そして、多数のリクエストにより

『対馬野生生物保護センター』へ。

職員の方の丁寧な解説をいただき、

おやすみ中とはいえ、絶滅の危機に瀕している「ツシマヤマネコ」に会えましたキラキラ

 

再び巡拝を再開し、

『神御魂(かんむすび)神社』

 

豆酘の『高御魂神社』と対として語られる神社。

祀られているのは「女房神」。

 

「天地の初発の時、高天原の成りませる神の名は天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神…」

 

「古事記」冒頭にこう記され、事実上の高天原の主神ともいえる二神。

中世以降、習合して本来の神名が不明となった神社は対馬には多いが、この二神においてはそのまま遺っている。

宮中に祀られる御巫等祭神三十三座の上に、この二神の座があるという。

 

「皇室の最初の祖神が高御産霊尊で、次いで天照大神となり、天皇が天津日嗣と称されることは、

 対馬直の神系譜と全くよく似ている。

 対馬直、壱岐直の一族が宮廷の卜部となったのは、朝廷の儀礼を整えるにあたってその神と祭りが

 必要になったからではないだろうか。

 

 大王(おおきみ)といい、のちに天皇と称した最高の祭司が、従う卜部官を対馬・壱岐・伊豆の三国

 より選んだのは、他に政治上の理由もあったであろうが、まずは祭祀上の理由があったと考えられる」

(「海神と天神」より)

 

そして、

『和多津美御子(わたつみみこ)神社』

 

元は天神宮。

「前にも触れたように、中世の神仏習合時に多くの古社が本名を失し、固有の祭神を

 忘れた時も仁位の和多津美神社を「和多津美宮」「わたつみのみや」「渡海宮」と

 した確かな史料が残っている。

 しかし、和多津美の御子神の名を遺した史料はどこにもない。

 しかるに、神道復古を図った神官らは、廃れた古名を復活した時、まず仁位の渡海宮

 を和多津美御子神社に比定し、次いで仁位の天神宮を同社に比定して、渡海宮を別の

 式内社大島神社にあてた」(「海神と天神」より)

 

 

こちらでは、こうした素敵な出会いもありました音譜

 

この方のオススメをいただいのが、

『濱殿神社』

 

豊玉「ヒコ」を祀る神社。

 

そして、この日最終見参社は、

『住吉神社』

 

対馬においては、「和多津美」と「住吉」の区別は曖昧である。

「和多津美」系で少童(わたつみ)神でなく豊玉姫と鵜茅葺不合尊を祀り、「住吉」系でも同様に祀る。

共通しているのは、どちらも神功皇后伝説を伴っているということ。

 

対馬には、神功皇后と関係した由緒を伝える神社は多い。

「そもそも神功皇后に、新羅を征伐して胎中の皇子(応神天皇)に治めさせよと託宣したのは、

 伊勢の五十鈴宮の媛神と筑紫の日向の橘の小門の底筒男・中筒男・表筒男の神たちであった。

 『古事記』と『日本書紀』がこのことを特記しているのは、畿内の朝廷と密接な関係にあった

 伊勢の天照大神と、摂津の墨江を本拠として瀬戸内から北九州・壱岐・対馬に発展した住吉大神

 の真意を強調したもので、それはこの両神が特別に皇室の崇敬を受けるようになった時代の反映

 とみられる」(「海神と天神」より)

 

 

夜は、宿よりほど近い

「汐路」にて、対馬の家庭的な料理をいただきましたキラキラ