『一宮神社(いっきゅうじんじゃ)』

 

御祭神 大己貴神

 

慶雲四年(西暦707年)麿子親王の創建とされる古社。

丹波・丹後の国境の守護神として崇敬され、福知山城築城後は、城の鎮守神として崇敬される。

地元で「いっきゅうさん」として親しまれる神社。

 

 

 

 

 

 

 

『大原神社』

 

御祭神 伊弉冉尊

    天照大神

    月弓尊(つきよみのみこと)

 

「大原神社は安産の神として広く信仰を集めています。創建は『丹波誌』によると仁寿二年(852年)3月23日、桑田郡野々村(現南丹市美山町字樫原)に鎮座、 弘安2年(1279年)9月28日に大原へ遷座、応永4年(1379年)10月13日に社殿が整ったとされています。しかし社伝によると創建は仁寿二年と伝えられ、元宮の大原神社(美山町鎮座)は大化元年(645年)の創建と言い伝えられています。
大原神社には『大原神社本紀』という大原神社の縁起を書き綴ったものが5点残されており、大原神社が安産の神として信仰を集める所以として、 「邪那岐と伊邪那美の神は天下万民を生み出した父母であるのだから、天下太平・国土安隠・宝祚長久・五穀能成・万民豊饒を守護すること、 他所の神社に勝り、天下万民を生み出した神なので、ことに婦人の安産を守る神なのである」と記されています。」(大原うぶやの里ホームページより抜粋)

 

大原神社は、古くから安産・万物生産の神として崇敬され古事記や日本書紀にも記載のある神社で、「産屋」というお産をする場所が残っているところです。

 

 

 

  

 

「産屋」は、この神社境内より見ることもでき、徒歩で数分の場所にあります。

 

 

 

 

 

 

そして、

『生身(いきみ)天満宮』

 

約一万二千社ある天満宮の中で、御祭神・菅原道真公ご存命時から唯一お祀りしていたとされる神社です。

歌舞伎「菅原伝授手習鑑」に登場する武部源蔵は、生身天満宮初代宮司で、現在の宮司で28代目になるそうです。

 

 

 

延喜元年(901)、道真公は太宰府に左遷を命ぜられます。

当時、京都・園部の役人であった源蔵は、菅公から八男の慶能君を匿い育てるように頼まれました。

源蔵は密かに祠を建立し、自ら彫った菅公の御木像を生祠(いきほこら)としてお祀りし、日夜御安泰を祈っていたそうです。

しかし、その2年後菅公はお亡くなりになります。

それから源蔵は、この生祠を霊廊として礼拝、のちに神社と改め「生身天満宮」と称したそうです。

(生身天満宮資料より)