誤判定品   判定難易度A 説明難易度D | 和同開珎ー皇朝銭専科のブログ

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真贋は分析値を見れば即座に解るのですが、これを依頼者に伝える際、依頼者が納得ゆく説明をするのが難しい贋作

近代貨の贋作の多くでも説明に困るものが多々ございます

前記事の金貨の場合6万倍まで超拡大したところ現代になって実用化された技術の痕跡がくっきりと残っていた為贋作説明は容易にできましたが、こうした痕跡の発見が難しい個体も多くあり依頼者を納得させるだけの証拠を揃えるのに苦労する物もございます

 

今回はそんな物のなかよりごく最近に作られた贋作をご紹介します

よくよく見かけます江戸末期の地方貨幣(1863年とされています) 

この発行年数、、これが後々重要なキーになってきます

 

今回本品と近い銀品位の分析結果を掲載しますので微妙な違いを感じてください

 

まず本品の組成です

銀と少量の銅の合金です

 

こちらはやはり幕末期東北地方の地方貨(仙台小槌銀)の真品組成です

こちらは割り金はなく銀だけ、鉄分が1%を越えておりますが内部組成というより、製作時に使用された座金や刻印鏨などの影響を強く受けているものです

 

こちらは年代的には非常に近い明治3年(1870年)一円銀貨の組成です

銀900に銅を混ぜた合金

 

まず銀の精製技術について説明をしなければなりませんが非常に長くなる為

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%B0%E5%90%B9%E6%B3%95

こちらをご覧ください

 

灰吹き法 などと呼ばれます古式精製と

電解精錬法 と呼ばれます近代精製法があることがお解かりいただけるかと思います

 

わが国での銀の精製の歴史はまた別の機会にお話させていただくとし今回は電解精製法の発明と実用化された時期についての説明が必要なのですがこちらも長くなる為

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80

こちらをご覧いただき簡潔にまとめますと

 

銀の電解精錬法が発明実用化されたのは 1869年頃の事であるということであり、それを踏まえたうえで改めて上3つの分析表をご覧ください

 

分析表に数値化された数値が全てではなくこれ以外にもかなりの数の不純物は検出され、実際の判断にはこれら微量元素の含有比率が重要な役割を果たしているのですが、今回はそれより明確な物がございますので説明させていただきます

わが国の銀精製の歴史ですが 1533年 朝鮮より灰吹き法が伝えられたのが最初とされております

実際には皇朝銭期に既に灰吹き精製を行ったと考えられる痕跡も見つかってはいるのですが国内精製されたと考えられる銀製品がほとんど見つかっておらず日本に渡ってきた朝鮮技術者による精製痕跡の跡ではないかと考えられます

それまでのわが国の銀は朝鮮などからの輸入に頼っておりました

ではわが国で精製された銀と朝鮮など大陸より輸入された銀には一体どのような差があるのでしょう

わが国の銀鉱石と大陸の銀鉱石で最も大きく異なるのは含金量の差です

当時は粗精製された銀から金の分離精製をする技術が未熟であった為わが国で精製された銀には非常に多量の金(0.3%程度~時として2%を超える)が含まれております

一方朝鮮銀など大陸精製の銀の含金量は少なく(0.3%に満たないものがほとんどで、0.1%~0.2%程度のものが一般的です)

もちろんこの数値がすべてではなく、例外的に国内鉱石であっても0.2%に満たない含金銀もございますし、大陸銀であっても0.5%を越える含金銀もございます

ただ、多くの場合国内精製銀は金を多く含む傾向にあります

以上が精製銀の特徴なのですが実際に製作された銀製品の特徴は?といいますと灰吹き法伝来以降激変したかと言うとそうでもなく、皇朝銭期の銀製品が非常に含金量が少ない(輸入銀に頼っていた時代ですので)のに対し伝来後50年経過した頃鋳造された永楽銀銭などはまだまだ大陸銀の特徴(含金量が少ない)を強く示す傾向にあるのに対し江戸時代に入ると一気に国内精製銀の含有率が増えてきます

これは灰吹き法伝来後も全てを国内精製していたわけではなく多くの朝鮮銀などを輸入していたためであり製品の多くが大陸銀、あるいは多くの大陸銀が混入された銀材が使用されていたからであります

江戸期に入りますと銀山の開発なども進み一気に国内精製銀が多量に出回るようになり銀製品の多くが高い比率で国内銀を含有するに至ったわけです

上でも述べましたが含金量が全てではなく他微量元素の含有比率が実際は大きな問題であり、判断の鍵になってはいるのですが、大きくわかる部分はこの含金量と言えるのです

 

 

前置きが長くなりましたが

まず本品の分析リストを改めてご覧ください

銀と少量の銅の合金であることがわかりますが金を一切含まないことが解ります

秋田銀板が作られたのは 1863年とされておりますので、まだ電解精錬法が発明実用化される以前であります

つまり灰吹き法など古式精製法による精製銀、あるいはこれら古式精製銀を使った銀製品の鋳潰し再生成銀材で作られている事になります

電解精錬法が実用化され含金精製の技術も格段に上がり現在ではほぼ100%の金を分離精製できるようになりました

一方で電解精錬法が実用化された明治初期は精製回数の問題や、当時残っていた古式精製銀の一部を材料に混入していた事もあり非常に少量ながらまだ金を含み、実際明治大正昭和初期の銀貨までは比較的金が含まれます(0.1%程度までですが)

比較の円銀を見ていただけますと0.05%の金が含まれています

実はこの数値は散見する物の中では非常に少なく、一般的には0.1%前後の金が含まれる個体が一般的です

ただこの時代の精製技術であれば0.05%程度まで金を分離することは可能であったことがわかる個体として紹介させていただきました

 

一方の本品ですが金は非検出(実際には0.0002%程度は検出されていますがあまりの少なさの為非検出となっております)でこれだけの金分離が可能になったのは昭和も戦後以降になってからです

もちろん世界的に見た場合金を一切含まない銀鉱石などもございますが銅鉱石には多かれ少なかれ僅かな金が含まれており銅銀合金でここまで徹底的に金を分離できる技術はごく近代になってからのことです

こうした事から本品原材料が精製された時期はどんなに古く見積もっても昭和も戦後以降ということになり秋田銀判が作られた1863年との間に大きな齟齬があることがわかります

実際の判定には他いくつかの含有微量元素の含有比率を見て判断しているのですが、その結果も第二期以降(昭和も戦後以降)の精製ということで合致いたしておりましたので贋作であるとの断定に至りました

 

製作面でも実はそれなりに違いはあり300倍程度まで拡大した金属顕微鏡画像からその差は判断できるのですが実際に画像を並べて見ますとご覧のとおりの違いしかなくこの画像から本物と同一構造であるのか、全く異なる製法であるのかの違いを見分けるのにはそれなりの熟練も必要で依頼主の視覚に訴える材料となりにくく説明難易度が高いものといえるでしょう

 

下は正規の同種銀判表面構造

こちらも別個体正規銀板表面構造(同一倍率)

 

で、こちらが本品の表面構造となります

品位の差、叩き伸ばす座金の差、鍛圧の差、ハンマーの差など様々な違いから全く異なる構造に仕上がっておりますが解りますでしょうか?

 

従来の鑑定と呼ばれるものは使われている 座印の形状や重量などに重点を置き見ておりましたが逆に座印などいくつかの散見するタイプの物以外にも当時使われていたもので未発見の物などもある可能性が高く、重量につきましても故意ではないにしろエラーなどと言うものの可能性まで否定することは難しく、そこに重点を置くこと自体ナンセンスです

本当の意味での鑑定とは その時代にあった材料を、その時代にあった技術で加工されているか?と言う事で、またその加工から一定期間の経年が認められるか?

当時の材料を使い当時と同じ方法で加工された場合材料と製法だけでは判断できませんがそこに製作後一定期間の経年が認められるのであればそれは当時のものであると判断が出来るはずです

もちろん当時の贋作、、などという問題も否定はできません

皇朝銭の場合実際に重文や国宝指定されているものを含み過半数は当時の贋作銭であるわけですのでそこまでの証明はほぼ不可能でしょう

皇朝銭の当時物の贋作が証明できればその個体は間違いなく国宝級のお宝として取り扱われる事でしょう

 

少々脱線いたしましたが説明の難易度の高い個体は近代貨などで特に多く、苦労いたします

 

組合さんの 

 

鑑定書発行の要件を満たして降りませんので、鑑定書は発行できません。

なお、鑑定基準に関する詳細は偽物の製作を防ぐ意味で非開示となっております。

 

という言葉で済ませることが出来るのであればどんなに楽か・・

ただ判定根拠と証拠を示さずして鑑定とは言えません

またどんなに詳細に製作方法を公開したところで同一材を使い同一製法で製作することまでは出来てもその後の経年変化は人為的にはどうする事も出来ません

もちろんぱっと見た目は薬品を使い着錆加工することは簡単でしょうが、金属構造や酸化皮膜の結晶構造のコントロールまで全てをその時代に合わせることは現代の科学技術では不可能ですのでそうした高度な贋作でも必ず見抜けてこその鑑定ではないでしょうか?

 

江戸期の小判類、古金銀類などの多くはこうした近代贋作です

江戸時代の小判金と甲州金など地方金貨などに限定してみますと組合鑑定品の6割強が贋作です

またそのうち約半数は品位すら合っていないものです

これら贋作の製作された時期は明治後期~昭和前期頃が圧倒的多数であり穴銭類の贋作製作時期に合致いたします

一方円銀類など近代金銀貨の組合鑑定品の贋作割合は5年ほど前までのものですと3割前後でしたがここ3~4年以内になりますと爆発的に多くなり過半数が贋作となっております

これは前記事でも紹介いたしました3Dキャドデータ(本物をスキャンしたデータ)から金型をミクロレベルで切削しその金型で製作されたものですので、当然ですがルーペと勘での従来の判定では絶対に見抜けないわけです

以前の贋作はスーパーなどと呼ばれていたものでさえも読み取り機の精度や切削機の精度から実体顕微鏡程度である程度判断は可能でしたが現在の贋作は0.001mm程度の凹凸情報も忠実に再現可能な技術ですので300倍500倍といった比較的高倍率の金属顕微鏡類であったとしても歯がたつものではありません

前記事の贋作金貨も60000倍という高倍率と電子顕微鏡特有のハイコントラスト検証ではじめて明確にその痕跡が発見できたにすぎません

ただし品位相違や地金の精製時期の判定は簡単に出来ますので今後の鑑定はこうした方法を取り入れてゆくべきであると考えます