もう何か月ぶりなんだろうか。ブログという存在はことさら、自分がブログを記すなんてことをしていた!という事実を10分前に思い出した。風呂場で。

もう寝る時間なのに、箪笥の奥深くから埃まみれのアメーバブログを取り出し、現在0:14 勢いのままこうして書いている。

でもこうして真白な入力欄に自分ごとを連ねると。今まで落としてきたものを取り戻すように書きたいことがボヤボヤわいてくる。

 

もう11月ですよ。早かったなぁ、10月の中旬に少し涼しくなってきたかと思えば急に寒くなりやがった。気温も日本中で文句を言われ腹を立てたのでしょう。加減を知らないのですね。

11月ごろになれば、人類が来年に向けて支度をし始めるので、つい私もそわそわし始めます。この感覚がなんだが懐かしくて好きです。

年末といえば、私の誕生日は1月5日である。そして、この時期になると私は髪を切る。今までの自分を一新した気持ちになれるからだ。また、年を取るとともに、不意に今までの人生の記憶がダイジェストにフッと流れていくことがある。

今年もその時が来たみたいです。

ところで最近の私は以前までかみ合わなかった学校、新居などに調律が合ってきていて、穏和である。ブログを更新していなかったのも、毎日の営みに急かされていたためである。

朝3分刻みで設定しておいた4つのアラームを解除するとともに起床し、朝ご飯を食べる隙もなく学校に向かう。

その時の通学の満員電車でもみくちゃにされる自分を俯瞰し、この世の主人公でもなんでもなくただの塵同然のちっぽけな人ひとりということを思い知らされ。学校で携帯による最近のニュースを片目に授業に向き合いし、隣の友人にちょっかいをかける。そんなことをしたらもう帰る時間だ。下校中に聞く音楽ももう疲労でまともに耳に入ってこずただの贅沢なノイズでしかない。帰宅すれば、風呂に入り、鏡を見れば前刈ったばかりの髪がドクダミみたいに伸びてる。その瞬間今まで目の前の事象に必死で、どれだけの時間と豊かなものを無駄にしてきたかを自覚しだす。そのまま散髪の意識を持ちつつ同時に己の顔を見て今までの記憶があふれかえってきたのだ。

幼少の私が見ればなんて思うだろう。きっとあの頃の頑迷な自分と何も変わってなんかなくて失望するだろう。

子供のころから、私は常に将来自分の身に降りかかるであろう事柄に思いを馳せ先回りの心持ちでいたのだ。

偶然私の周りにはお世辞にも良いとは言えない家庭環境とインターネットがあったので、反面教師となる素材は潤沢だったのだ。

”今のわたしの年齢でこんなことを知り、考えるのはきっと早すぎるだろう。だがそれがこの先の未来の私の心に余白を生むのだ”

だが実際は、枯れたひまわりみたいに下を見つめるだけの少年になっていました。まだまっすぐに目の前をことを楽しみ受け止めてきた同級生たちは立派に伸びていた。今だって、恋人が当然のようにできて、顔だちもさっぱりとした風合いになっている。

私はもう今年を乗り越えば20歳を迎える。

このまま私はなにもできずにあっという間に時間を無意味に使うのだろうか。また歳を迎えることに加速していくのならそれはもう大変なことで。日々追いやられていく一方である。

そんな中でも私の唯一の趣味が絵を描くこと、絵を描いているときは自分が自分自身の貢献してるように感じる。このことは大切に育てていきたいと思っている。

 

そんなことを散髪中に思うのだった、これが私にとっての人生の振り返る機会というわけだ。

来年の誕生日プレゼントは時間と健康と名誉です、

きっと次またいつ会えるのかもわからない、だから今言っておきます。

今年もお世話になりました。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。