話しているときはうまく言えないのに、
あとで文章にすると「なぜこれを言えなかったんだ」と思うことがある。
先日、お笑い動画を見ていたときに、「倒置法」という言葉が出てきた。
これは何だったか?と思い、記憶を遡ってみた。
イメージとしては、
普通の文章は
「私は彼を尊敬する。」
倒置法だと
「彼を、私は尊敬する。」
というようなもので、少し文学的になる、という感じだろうか。
オペラで使われるような言い回しにも思えた。
そこで、ふと思ったのだが、
「自分が日ごろ口から出している言葉」は、これなのだろうか?
試しに、PCの音声入力を使って、今日の出来事を話してみた。
無意識に出た文章(口から出る言葉)は、こうだ。
「今日のお昼ご飯に、私はうどん屋で食事をしました。」
……「倒置法」でも何でもない。
ただの話下手だった。
ちなみに、これを文章として書くと、
「私はうどん屋で昼食をとりました。」
おそらく、確実にこのように書くだろう。
では、なぜ口から出る言葉と、書き出す文章とで、ここまで違いが出るのか。
どうも私は、「思考=発話」型の人間らしい。
このタイプは、
1:頭の中で考えが浮かぶ
2:そのまま口に出す
3:次の考えが浮かぶまで止まれない
4:つなぎとして「例えば」「というか」「それで……」「あ~」「え~」が出る
つまり、「思考の順序と発話が同期している状態」だ。
そのうえで、
正確な言い回しを探す
失言を避けようとする
相手の反応を気にする
といったことも同時に頭の中で行っているので、処理量が多い、ということでもある。
人前で演説する政治家の中にも、このタイプの人はいる。
特別に珍しい人間、というわけではなさそうだ。
では、逆に「話が上手い人」はどうなのかと言えば、
よく使うフレーズを、“感覚で”ストックしている。
たとえば、
「結論から言うと〜です」
「理由は大きく二つあって」
「一つ目は〜、二つ目は〜」
「つまり何が言いたいかというと」
これらを文章として覚えているのではなく、
体の動きのように覚えている。
会話を聞いていると、やけに同じフレーズや言い回しが多いと感じるだろう。
そして、一番の特徴は「完璧に言おうとしない」という点だ。
スラスラ話す人は、
言い直す
表現を妥協する
深掘りしすぎない
この三つを、意図的に自分に許可している。
そのため、「これは口にしていいのか?」「カッコ悪くないか?」
といった一旦停止のタスクが、頭の中の会話工程に入り込んでこない。
逆に、真面目で思考が深い人ほど、
「正確に言わなきゃ」
「カッコ良く言わなきゃ」
という意識が先に立ち、言葉が詰まる、という感じになる。
実に単純なことなのだけれど、これは性格の問題なのだろう。
丁寧なのか、適当なのか。
複雑なのか、最適化しているのか。
そういう違いなのだと思う。
話すのが苦手なのは、能力の問題というより、
思考の処理順の違いなのかもしれない。
そう思えるだけで、
少しだけ気が楽になる人もいるだろう。