こんにちは!


スピ好き女 なぎぃです爆笑


このブログに遊びに来て下さり、ありがとうございます♡



先日、母の命日でした

お花を買って 祈りました



母が好きだった百合の花✨✨✨
飾ると 家の中が 百合の香りで
いっぱい!



今日は 私の母の、とあるエピソードを思い出したので

それを お話しして行こうと思います照れ



私の母は 沖縄生まれです





母は高校を出てすぐ、東京の美容学校に入る為に上京し、美容室に住み込みで

働いていたそうです。

上京した頃、まだ沖縄は アメリカ領で

沖縄から外へ行くには パスポートが必要だった時代で…


なので 私のおじいちゃんは

おそらく 沖縄戦を体験してきた人なんです

ただ 戦争の話をしてくれた事は

全く無いんですけどね…



母は6人きょうだいの 1番上の子でした。

女3人、男3人の6人きょうだい。

1番下の末っ子の男の子

私にとっては 叔父さんに当たりますが

確か 私と12歳差だった。


そして、叔父と 母も 12歳差だったはず…(記憶が曖昧。確かそんな会話を母と叔父と私の3人でしていたんですよね)



母は 自分の末の弟が生まれた時


お祝いの料理の準備で 

台所に卵が 用意されているのを 見て


普段めったに食べられない 卵を

どーしても 食べたくて…


 



卵を 生のまま 隠れて

1人で 食べたそうです!


何個食べたのかは 分かりません

きっと 親は 少しは

気づいたでしょうね。



卵が 食べたすぎて…


という事に 衝撃を受けて

当時、その話を聞いた小学校低学年だった

私は


涙が止まらなくなりました。


可哀想で…

子どもなりの、欲求と葛藤…


ご馳走ができるまで 待てない程の

卵に対する 欲求の気持ち。



今は こうして

想像を巡らせて 言葉で 説明できるけど



話を聞いた当時の私は


自分には 到底わかり得ないだろう、

この体験の話を聞いて


泣きじゃくって聞いてたなぁ〜

と 今でも よく覚えています。


そんな私を 見た、母の反応は

すっかり記憶から 消えてるんですが泣き笑い






今の世の中は とても便利になりました

 


スマホという便利な文明の利器も

ありますし(笑)


スマホのおかげで簡単に検索できるし

(今の子は 辞書を使うの?)



私は ゲーム系は疎くて よく分からないけど


子どもが 遊ぶゲームも たーくさん

ある



私は昔 交通系のカードの

タッチ&ゴーも 驚いていたなぁ

(ずっと現金小銭派でした)

今では 改札で ピッとするなんて

当たり前の事ですよねニヤリ



今の日本では


卵なんて、年中買えるモノ。

多少、高くなったとは言え

ホントに手軽に摂れるタンパク源の一つです。



バナナなんて、昔は高級品だったのを

今の子ども達は 理解できるんだろうか?

海外から 輸入される、お金持ちしか

食べられない、貴重な果物だったんですよね✨✨✨



そんな時代があったんだよ〜!と

違う世代の人に 押し付けがましく

諭す気は 無いけれど



昭和生まれの 私としては


ドラえもんに 描かれていた事に

近づいて来たんだなぁ…と

しみじみ 感じますおねがい



そして、 


モノが無い事への 餓えを

活力に変えて 


発明 研究し、世に送り出してくれた

時代の功労者たちに 感謝だなぁ、と

改めて 感じました。



今 この令和の時代での 子ども達や

若い世代の人が どう感じてるか


どう 考えてるかは わからないけれど



私は 

「あの時代に生まれて来て良かった」

と 思っています。



大切な事は 必ず

時代が 変わっても 形を変えながらも

引き継がれるはずだしね




話が なんだか おかしな所に

行ったような気が しますが💦



みんな それぞれが

人生の主役なので


思うままに 生きましょう✨✨✨



最後まで 読んで下さり

ありがとうございます❤️



今日一日 皆さんにとって

素晴らしい一日となりますように…!