こんばんは。

 

せたな和太鼓集団 海神(わだつみ)代表の林亮輔です。

 

昨日も書いたように「暁ノ聲(ときのこえ)」は、阪神淡路大震災の絶望から復興へと向かう姿をイメージし和太鼓松村組が作詞・作曲した曲で、5年前の2018年に北海道南西沖地震25年追悼事業「和太鼓松村組せたな公演」を開催するきっかけになった曲です。

 

この曲に込められた思いを公演に足を運んで下さった皆さんの記憶に少しでも留めたいと思い公演プログラムに挟み込んだ「御協賛社(者)一覧」の裏面を活用し、歌詞と曲に込めた思いを掲載しました。

 

歌詞はCDに付属の歌詞カードを見て書き写すことができましたが、曲に込めた思いを文字化したものはなく、曲の説明をしていた公演のDVDの説明部分を聞いて、停めて、ペンを走らせ、聞いて、停めて、ペンを走らせ、を何度も何度も繰り返し、文字化しました。

 

そして、完成したものを和太鼓松村組座長であり「暁ノ聲」を作詞された政本憲一さんに公演前日にお見せし許可をいただき、公演当日の朝に印刷し公演プログラムに挟み込みました。

 

私がまとめ、掲載した全文が以下になります。


『「暁ノ聲」を作るひとつのきっかけとなったのが、阪神淡路大震災で実際に救助活動にあたった神戸市消防局の方々との出会い。
 

「暁」は夜明け、「聲」は和太鼓を意味し、和太鼓の音をもって夜明けを迎えたいという思いが込められている。
 

震災当時、大きな火災の中、救助にあたった神戸市消防局の方々。
 

震災の影響で消火栓がストップし、ホースを繋いでも全く水が出ない状況が各地で発生。
 

燃え盛る炎の前に立ち尽くすことしかできない隊員たち。
 

住民からは「おい消防士、何とかしれくれ!あそこにはまだ家族が残っている!」と救助を求める声。
 

しかし、どうすることもできない。
 

挙句の果てに「この人殺し!」という声も。

 

自宅が倒壊、家族が行方不明など、自らも被災者でありながら懸命に救助にあたった自分たちが人殺しと言われる無念さ、悔しさ。
 

今でも現場に立ち入ることができないという苦しい思いをしている隊員も。

 

このような話を沢山聞かせていただき、日常生活の中で一人ひとりが抱えている苦しさ、悲しさ、不安、恐怖など、全てを理解することは難しいが、この曲を通して一歩前に踏み出す勇気、夜明けを迎えるきっかけを掴んでいただきたい。という思いを込め作詞作曲。』

以上、北海道南西沖地震25年追悼事業「和太鼓松村組せたな公演」プログラム折り込みより。

 

そして、間もなく北海道南西沖地震から30年を迎えます。

 

再びこの曲を地元せたな町で響かせるため、北海道南西沖地震30年追悼公演「和太鼓松村組せたな公演-暁ノ聲-」の準備を進めている次第です。

 

 北海道南西沖地震から30年だけでなく、過去2回の和太鼓松村組せたな公演で共演した厚真郷芸保存会の皆さんが被災した北海道胆振東部地震から5年、「暁ノ聲」を作詞した政本憲一さんが被災した大阪府北部地震から5年、そして、避けて通ることのできないコロナ禍において、この曲が生きる活力になると思いサブタイトルとしました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

では、また次回。