今日は、バリ語の文字のお勉強会だった。

バリ語アクサラ文字。

 

 

一緒に勉強しているちーちゃんが、先生に質問する。

バリ人が1番大切なものってなーに?

 

あー、まずはどうしてそういう質問の流れになったかを説明すると。

 

バリ人は、どうしても色々な迷信を信じて、あるいは不思議な現象がたくさんあるので、それを特別なことと思う場合が多のです。

 

例えば、バナナが3つつながったのは、マジックにかかるから食べちゃいけないとかいう迷信を信じていますし、

髪がSADHU(インドの行者)みたいにモジャモジャに勝手になる方がいて、それは神様との交信のアンテナだと言われ、不思議な現象もそれ以外にもたくさんあります。

 

 

バリ人は、肌感覚も人間の能力の一つだと、とても思っています。

肌感覚というのは、この場所は何か感じるとか、鳥肌が立つとか、五感ではわからない感覚を肌のセンサーで感じることです。

それが、発達しているとも言えるし、その感覚を皆普通に知っています。

 

大体、バリの楽器のガムランは、聞こえない音を出している名人で、ホルンだけが耳に聞こえない音をわりあい出してますが、ほとんどの西洋楽器は耳に聞こえる範囲の波長の音を出してます。それに比べてバリの楽器は、ほぼ耳に聞こえない波長の音が3分の2の割合で出していることが証明されて、NHKでも放送されてました。

 

バリ人は、こういう見えないとか聞こえない世界の音や現象をセンサーで観ることが得意なんです。

多分、この土地のエネルギーや文化がそういう感覚を繊細にさせていると思うんですが。

 

そういうバリで第6感といえば、インドラ ク ウナムと言って肌感覚とは違い、自然と交信したり、何か見えないものを第三の目で観る能力で、肌感覚が繊細になることによって、磨かれてくると思ってます。

 

肌感覚を鍛えて、そういう能力、第6感を研ぎ澄ますことが、大切なことなのかと、バリ人にとって大切なことかとちーちゃんは、思ったのです。

 

 

それで、最初の言葉、

バリ人にとって大切なものってなーに?

という問いにつながってくるのでした。

 

 

先生は答えました。

 

それは、自分のカルマを解消するように生きることだよ、

ダルマの道を歩くこと。

 

カルマの実って知ってる?いいことを行えばいいことが結果として返ってくるし、悪いことを行えば悪い結果が返ってくる、自分の体の健康にも心にもいいのはどちらでしょう?

 

健康になりたいよね、幸せになりたいよね。それが1番大切なことなんだよー。

だから、ダルマの道を歩くことなんだよ。

 

 

力より大切なのは、いいことをして生きることです。

とってもシンプルな回答で、ハッとさせられる気づきというものに触れた気がしました。

 

 

バリの美術アートの世界になくてはならない、ジャンというフランス人がいる。

彼は、ジャーナリストで、キュレーター、翻訳家、歴史家として活躍して、珍しく外国人でバリ語も操理、バリのアートの文化人として活躍している。

その彼にインタビューを受けた。

全く私の言うことを代弁してくれていて、その私的なそして、詩的で美しいイメージの世界に引き込まれた。

ここに、インドネシア全国紙「コンパス」に載った彼の文章を紹介しようと思う。

 

 

母の祈り(RENUNGAN IBUKU)

 

ジャン コトー(JEAN COUTEAU)

 

運転しているときは、ささいなことの意味を記録しながら、心さまようのが好きです。人々が道路を横断する方法、アスファルトの穴、ゴミを運ぶ細い男のカート、突然追い越す前に後ろから飛び出す非常に大きな車、男の頭はウデンで飾られています....私はすべてに注意を払い、ささいな詳細とそれを書き留めます。

私の心の中で:それは私のインドネシアであり、バリです。

はい!それが私が今住んでいるその国です。

 

私は、美しいフランスの川のほとりで子供時代を過ごした年取った白人です。そこは、突き出た大きな古代の砦があり、まるで歴史を思い出させる場所でした。

そこにいるときも「私」!ここにいるときも「私」! 「私」は同じ「私」ですか?

 

画家である母親に育てられたフランス、私が生まれた場所です。

インドネシア、芸術と文化の作家になるために私が死ぬ場所です。

 

汝であれ! 「あなたが誰であるかの鍵は他人にある」という亡くなった母が言った言葉が耳に響き渡ります。

「その言葉はここで私にとってどういう意味ですか?世界を探検してバリに住んだ後、彼女が望んでいる他の人たちとの一体感を本当に見つけましたか?

ああ、お母さん!なぜ私はこの車を運転しているのですか?

 

私はギャニャール県のマス村にあるビダダリギャラリーに向かっていました。

私のような移ってきた人間、ある人に会います。

ギャラリーを経営し、海外で「骨を埋める」覚悟をしている女性です。

私がフランスのユーラシア大陸の西端から来て、彼女は東端の日本の島で生まれました。そして、二人とも今インドネシアで結婚しています。

 

道を右または左に曲がりながら、幼い頃の母の顔が頭をよぎりました。

「私たちのフランスは、賢い国です。しかし、息子!私たちは遠い国からも学ばなければいけません。」 

Beaux-Arts(College of Arts)では、私の講師は常に、対話、輪郭、色の点で日本が私たちの教師であることを強調していました。

 

母との思い出に、母の友人である、日本人の皺だらけの老人が、2年ごとに私たちを訪ねてきてました。

彼の目的は何ですか?私たちの地域のローマ様式の教会を一つずつ探検してます。

そう!日本とフランスは歴史と芸術に関心を持っています。

 

マスビレッジに到着した時、浩美は笑顔で待っていました。私たちは座って、仕事について、それからあれこれ話します。特に、核となる日本美術については、バリ美術と比較して逆に細部まで。

 

すると突然浩美から、 「私は日本人としてバリに住んでいます。ジャンさん!

バリ島と日本には違いは見られません。私は実際に類似点をたくさん見ました。」

浩美さんは続けます。「バリ島で大切なものは先祖ですよね?教義のない、その神々のある自然エネルギー。自然と祖先を尊重する神道の教えと同じように。

私の家族は九州の古神道の由来する場所にいました。そこでは、バリの伝統と同じように、神職が森の守護者、天秤の守護者です…。」

 

彼女の柔らかな低い声は、日本でもある彼女のバリ島についてハミングしているように聞こえました。みんなが一つになるまで、どこかここかで「曼荼羅」という状態を持って平和に達しなければいけません。

 

彼女がそのように話すのを聞いて、私はバリの人が言ったことを思い出しました。

すべての信仰は同じです。すべてが山から始まり、すべて同じ海に流れ込む川のように。神は市場のようなものであると言うジャワの言葉もあります。

神に到達するには、東から、西から、さまざまな方向からの道があります。

 

母の顔が私の頭をよぎった。彼女がとても年をとった8年前、 「あなたは私のようだ、ジャン。私はギリシャからラオス、アフリカまで世界を探検してきました。」

私が描いた自分の肖像画に希望を表現しました。そして、私はキャンバスに描かれたオレンジ色のシャツに僧侶の呪文をこすりました。

私が線や色で伝えている意味を、あなたに言葉で続けていってもらうのが私の希望です。」

私から遠く離れている母が亡くなる前に、母を見たのはこれが最後でした。

 

私は今知っています:フランス、バリマス村の微笑でいる浩美、またはジャワで、どこでも、私の母の夢を共有する人々がいます。

 

まだできますか?

 

 

以下は、原文インドネシア語

 

Kalau sedang mengemudi, aku suka membiarkan pikiranku melayang-layang, merekam arti hal-hal yang sepele. Cara orang meyeberang jalan, lubang di aspal, gerobak bapak kerempleng yang mengangkut sampah, mobil sangat besar yang menyosor dari belakang sebelum tiba-tiba menyalip kasar, kepala pria dihiasi udeng.... Semua detail sepele itu aku perhatikan dan lantas menjadi kesan yang tertera di benakku: itulah Indonesiaku, dan itulah Baliku....

Ya! Di negeri itu kini bermukim diriku, bule sudah tua, yang masa kecilnya dilewati di pinggir sebuah sungai di Perancis yang indah, dengan benteng kuno besar yang menjorok di seberang sana, solah-olah demi mengingatkan kesadaran sejarah.

“Aku” ketika di sana! “Aku” ketika di sini! Apakah “aku” itu adalah “aku” yang sama? Di sana adalah tempat aku lahir, Perancis, diasuh ibu yang seorang pelukis. Di sini tempat aku akan mati, indonesia, menjadi penulis seni budaya.

Jati diri! Kata itu berdengung di telinga, “Kunci jati dirimu ada pada orang lain”. Almarhumah ibu pernah berkata, Apa artinya kata itu bagiku di sini ? Apakah seusai menjelajahi dunia dan bermukim di Bali, aku betul-betul telah menemukan kebersamaan dengan sesama yang diidamkannya? Oh, ibu!

Ngapain aku mengendarai mobil ini? Aku sedang menuju Desa Mas di Kabupaten Gianyar tepatnya ke Gallery Bidadari. Akan bertemu dengan seorang yang juga perantau, yang aku ketahui telah seperti aku. “menggali lubangnya” di rantau sebagai pengelola galeri, seorang wanita. Apabila aku berasal dari ujung barat Eurasia, di Perancis, dia lahir di sebuah pulau di ujung timurnya, di Jepang. Kami berdua kini berumah tangga di Indonesia.

Sambil membelok ke kanan atau ke kiri, terbayang di benak wajah ibuku, 

ketika masih muda. “Kita bangsa yang pintar di Perancis, Nak. Tetapi kita juga belajar dari negeri jauh, anakku.

 Di Beaux-Arts (Sekolah Tinggi Seni), dosenku selalu menekankan bahwa Jepanglah guru kami di dalam hal dialog, kontur dan warna,” ujarnya.

 

Berpikir tentang ibu, tebersit juga wajah berkeriput seorang pria Jepang tua, teman almarhumah, yang mengunjungi kami setiap dua tahun. Apa tujuannya? Menjelajahi satu persatu gereja-gereja gaya Roman di daerah kami. Ya! Jepang dan Perancis memang berbagi minat perihal sejarah dan seni?

Tiba di Desa Mas, Hiromi sudah menanti, tersenyum. Kami melihat karya, lalu duduk, lantas berbicara tentang ini itu. Khususnya tentang seni Jepang yang cenderung mengambil inti bentuknya, dibandingkan dengan seni Bali yang sebaliknya berbiak dalam detail yang makin kecil.

Lalu tiba-tiba suara hati keluar. “Aku hidup di Bali. Pak Jean, sebagai orang Jepang. Tetapi, aku tidak melihat perbedaan antara Bali dan Jepang. Aku justru melihat persamaan.”

Hiromi melanjutkan, “Yang pokok di Bali adalah leluhur, kan? Energi alam, dengan dewa-dewanya, tanpa dogma. Tepat seperti di ajaran Shinto, yang juga menghormati alam dan leluhur. Keluargaku berasal dari pusat kultus  Shinto di Kiyushu. Di situ pendeta  Shinto adalah penjaga hutan, penjaga keseimbangan, tepat seperti dalam tradisi Bali....”

Suara lirih halusnya terdengar seolah bersenandung, bersenandung tentang Bali-nya, yang juga Jepang-nya. 

Bagaimana di sana ataupun di sini kita harus berdamai dengan “mandala”, hingga tergapai kesatuan makna.

 

Mendengarnya berbicara seperti itu, aku teringat wejangan khas Bali yang berkata : semua kepercayaan adalah sama. Bagai sungai yang semuanya berasal dari Gunung dan semua bermuara di Lautan yang sama. Ada pula padanan ungkapan Jawa yang berkata Tuhan bagai pasar, untuk menuju-Nya ada jalan dari Timur, dari Barat , dari berbagai jurusan.

 

Wajah ibu terlintas di benakku. Saat beliau sudah sangat tua, delapan tahun yang lalu. “Kau seperti aku, Jean. Dunia aku jelajahi dari Yunani sampai ke Laos dan Afrika. Harapan kaum wanita telah aku abadikan di potret-potretku. Mantra biku-biku aku usapkan di kanvas pada baju oranyenya. Semoga kau mampu meneruskan dalam pesan  kata bermakna apa yan aku sampaikan dengan garis dan warna.”

Itulah  terakhir kali aku melihat ibu masih hidup, sebelum beliau wafat, jauh dari kehadiranku.

Aku kini tahu : baik di Perancis maupun pada senyuman Hiromi di Mas, Bali, atau di Jawa dan entah lagi di mana, ada saja orang yang berbagi impian ibuku. Masih mampukah aku?

 

上からの声が聞こえるという人がいる。

下からの声ってないのでしょうかね?

 

昔、シャスタ山でスウェットロッジというインディアンの呪術師が行うテントの中で薬木を、聖山の山からとってきた石と一緒に焼くというデトックス+精霊の声をきく療法に参加した。

かなり観光客的な試みで、隣でインディアンのふりをするバイト達は、皆南アメリカからの人だった。ただ、その中心で指揮を行う方は本物のインディアンの呪術師で、日頃から、周りの白人達にも信頼されている方だった。

テントの入り口が閉じられると、

一筋の光もない、暗ーい深い闇だ。

音もない。

宇宙に放り出されて帰ってこれない 、助けにも来れない闇が一瞬で広がった。

ここで、普通はパニックになる人もいるらしい。

この状況は、インドの聖者の行う蘇りの儀式や、4日間土のなかで行う瞑想などに似ている。

しかし、またその後、呪術師が薪を煮えたぎった石にくべると、テントの中で火の粉の舞が始まる。テント内はサウナのように暑くなってくるし、その呪術師の発声する聖音はテント内に火の精霊のダンスを呼び起こす。

そこで繰り広げられる民族音楽と聖音は、私たちを地球に昔から住んでいる精霊達と会話するのに十分な雰囲気と場を作りだす。

呪術師はこの言語で順繰りに出てくる精霊達と会話する。大体は動物の自然例が多いようだが、私たちに地球や自然との関わり方を深いレベルの言葉で教えてくれる。

 

インディアンは、昔からこの地球と会話する術を知っていた。

叡智としての地からの声、下からの声を、伝える術を知っていた。

 

今からは風の時代になるという、それは、上からの声をインスピレーションとしてくみ上げて、さっと皆に流して早く伝わる時代であろう、しかし、上からのインスピレーションを地の声として、消化させて、地球のものとなった英智に至った、文明の知恵無くしては、地球にとってはただの風塵となっていくと思う。

 

 

この渦中で、バリ島に生きる人たちはとても、力強いです。

アーティストはアーティストで、食品に携わる人は携わる人で、皆楽しく生きています。

私は、なぜかそういう方々のエネルギーに押されて、その方々が自分達の生産物を売る手助けをしています。マーケットを開いたり、情報ながしたり、絵の展覧会にきょうりょくしたり。

何も考えずに流されてきたこの働きだけど、何か一つの形をなそうといます、

やっぱり、成果は思う先になくて歩いてきた足跡がかたちになったものなんだっておもいます。

 

 

 

以下の文章は、27人のアーティストの展示会の絵の為の端書きです。

 

 

 

 

MOVE ON

 

MOVE ON 音の響きも素晴らしい。

動き続ける、変わり続ける、常に変わり続ける、無常、この響きはこれらを想像させる。

無常は仏教思想の中でも、中核を占めるものであり、世の常である。

全てのものは移ろい続ける。

 

人間長く生きて、その深い意味を味わう。

 

今回のパンデミックは、アートを生業にする人も含め全ての人に大きな変遷を促した。

人は変わり続けなければいけない。このパンデミックに立ち向かうためにも、古いシステムを捨てて新しいシステムを作り出す。

また新しい生産物を作り出す。

そういう循環の中に全ての人が向き合わせられている。

 

ビダダリも同じである、そういう人々、アーティストのみならず、食料生産者、工芸生産者、多種の生産者の応援をしてきた。もうすぐ9ヶ月になろうとしている。

今後も応援していきたいと思う。

 

コミュニティの皆さんが協力して何かを作り上げたという経験。或いは、皆で助け合ったという経験。それらは素晴らしい経験として、今後の糧になっていくと思う。

そのお金で計れない経験、その貴重さは大きな目に見えない価値を生むという信念がある。

そのために私は活動している。

 

でも、その経験を新しい形、システムに載せるまで、私は変わり続けていきたいと思う。

 

このアートの展示会に参加される皆様と関わる全ての方に感謝をいたします。

 

BIDADARI  ART SPACE  和田浩美