幻想の鎖から解き放たれて、「広大無辺な境地」へ飛び立つ感覚を「大いなる自由」という言葉で表す | 徒然なるまま…に

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memoです 日常、非日常のメモリとして。

 

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私たちはこの地球次元での転生を始めた時、生きる指針となる規則が一つありました。それは「何ものをも傷つけない」ことです。そしてこれは今でも、私たちの唯一の生きる指針であることに変わりはありません。誰をも何ものをも傷つけないように、最善の努力をしながら生きることです。
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   初期の頃の人間には、無害な存在に触れて感じる能力が誰にもあったので、その際には互いの本質をはっきりと純粋に見ることができました。けれどもやがて人間は外側に神を求めるようになり、自分たちよりも優れていると思う存在を崇拝するようになりました。そうして宗教というものが生まれ、さまざまな規則や戒律や基準が作られ、法律も生まれました。
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   「良い人間」であるために従わなければならない細かい規則がたくさん作られました。特定の食生活や特定の行為、思考や感情や行動にまで、実に多くの規則が作られました。そして自分の「内なる神性」につながろうとすると、障害物があるのが感じられ、違和感が生じ、そこに罪悪感が生まれました。そして本来の自分である「聖なる高次の自己」である、ハイアーセルフとのチャンネルを開くのを恐れるようになりました。
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   宗教とは「内なる神」ではなく外側に神を認めることであり、何かを崇拝したとたん、二元性が生まれます。崇拝するということは二つの存在を意味しており、それが崇拝される者と崇拝する者です。こうした分離意識が生まれた瞬間、人間は罪悪感を感じるようになり、神への怖れが生じました。多くの人が神を恐れています。なぜなら人間が作り出した神は恐ろしい神だからです。こうした神の姿は人間の心の産物であり、事実とはまったく異なります。
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   ですがそうは言っても、人間の細胞レベルの記憶にこうした神のイメージが深く刻まれており、神の期待に沿わないと破滅させられるか、よくても罰を与えられると信じています。ある宗教の人たちは、神を失望させると暗くて陰気な場所に送られ、何か奇跡的なことが起きて、そこから解放されて別の所に送られることがない限り、そこに永遠にとどまらなければならないと恐れています。これは実に恐ろしい人生観です。
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   私は人々の精神の奥深くに刻印されている、こうした恐ろしい人生観や神のイメージが変わるのを願っています。素晴らしい全能の神が存在すると知りつつも、神が自分に対して怒っているかもしれないと思うと、自分の中でどういう感じがするか想像してみてください。そして、こうした考えを抱いて怖れを感じている部分が、自分の心の奥深くにあることを理解してください。
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   ではこのジレンマがあることが分った今、解決策は何でしょうか。自分自身の暗闇について、くよくよ考えても何にもならないばかりか、マイナスの自己像を自分の意識にさらに植え付けるだけです。大切なのは、自分が真に望んでいるのは何なのかを「深奥の自己」にはっきりと伝えることにあります。
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   「深奥の自己」もエネルギーの渦であり、私なりのやり方で活性化することを待ち望んでいます。つまり私が自分のために、内なる「深奥の自己」に助けを求めることを忍耐強く永遠に待っているのです。ただし、質問する時には具体的に聞くことです。私が望んでいるのは具体的にどういうことなのか? 自分の本質は何か? 現実とは何なのか、知りたいでしょうか? そうであれば「深奥の自己」に真理を教えてほしいと頼んでください。
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   分離意識を持った私たちの低い自己は、次のようなことを信じています。自分とは限られた能力しかなく、過去・現在・未来と一直線に生きるだけの存在で、怖れを抱き、よく病気になり、あまり幸せではない小さな虫けらのようなものであり、この地球上を右往左往し、どこに向かっているかもわからず、何のために生きているのかも解らない、そんな存在なのだと。
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   こうした低い自己は口を開くたびに、他人の信じている低い自己を強化するか、あるいは真理を信じるのを助けるかのどちらかです。なので自分自身や他の人にできる最善のことは、次のことです。私たちは誰もが神から生まれた「大いなる光」「大いなる愛」であり、無限で無害で、輝いて破裂し続ける創造された存在であることを、常に忘れないでいることです。自分がすでにそうしたものでなかったなら、人間はそれになりたいと望むことはありません。
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  今日から始めてください。内なる力に意識を向け、その間を隔てる罪悪感の壁を打ち破り、「内なる神」とのつながりを再び実感してください。何も「良い人間」になる必要はありません。ただ自分が「悪い」人間だと信じるのをやめてください。こうしたマイナス思考をやめようと決めるだけでいいのです。自分の本来の素晴らしさを信じることで、そうした思考を変えることができます。
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   毎日静かに座り、自分のエネルギー場を感じ、自分の本質を思い出し、それが真理だと自分にしっかり言い聞かせるようにすると、「内なる大いなる源」を感じる力が強化されて加速し、それが感じられるようになります。やがてそれは五感でそれとはっきり分る形で感知でき、私たちの疑問にすべて答えてくれます。
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真理を生きるために、それ以外のすべてを捨て去る用意があるか
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   うまくいっていない人間関係を指す言葉として、「機能不全」という言葉が使われていますが、それは「機能不全の家庭で育った」というように使われます。気づいていないかもしれませんが、私たちはみな何らかの「機能不全」の家庭で育ちました。その理由は、自分が何であるかを解っていない家族は、子どもたちに嘘のアイデンティティを教えるからです。
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   親自身が混乱して解っていないので、自分たちが信じている嘘をそのまま教えるのです。なのであらゆる家族は機能不全です。機能不全の程度で分類することもできますが、実際にはそれほど違いはありません。つまり自分という本質を知っているか知らないかの、そのどちらかです。罪悪感の網の目を破って抜け出る瞬間まで、何らかの意味で機能不全状態に在り続けるでしょう。
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   人が本来の自分を悟れない唯一の理由は、教えられてきた自分という本質を誤解しており、自分を有限の小さな存在であると思い込んでいることにあります。ここでまた繰り返しますが、私たちは完全なる「愛」であり、完全なる「聖なる力」です。しかもそれが「活性化」されています。それが私たちの本質であり、それ以下の定義は嘘です。なのでそうした嘘を広めるのはやめなければなりません。
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   私たちが人間関係の中で見ている相手の姿は、ほとんどの場合、ワイングラスを通して見ている幻想であり、そのために相手の心の奥は見えません。私たちの人間関係は、恋愛や家族関係だけに限らず、そうした関係は人間関係のほんの一部に過ぎません。ここで話しているのは、人生における関係、つまり出会う人すべてとの関係です。
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   一日の中で誰か他人と一緒にいる瞬間はすべて、私たちの覚醒への動きを推し進めるチャンスです。自分の中の神性を実感する力を育てたければ、他の人間を見た時に、その人もまた神から生まれた神の子であることを思い出すことです。すると次に何が起きるかというと、私の波動が上がり、自分の周りに「神のエネルギー」を発散します。
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   その瞬間、相手の記憶もいくらか活性化されます。私たちはお互いを映し出す鏡です。このことを思い出せば思い出すほど、お互いを大いに助け合うことになります。この意味で、覚醒した者は人を助けることができます。
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   「自分がそんなちっぽけなものだと本気で信じているのかね? 本気なのか?」と、彼はあなたを見て笑います。もしあなたの師があなたを叱るだけで、笑わないとしたら、新しい先生を探したほうがよさそうです。
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   あなたのことを神の現れだと思わないような人は、真の覚醒を体験してはいないからです。本物の先生に会いたければ、人間(という神)は単にこの世でゲームをしているだけだと解っていて、あなたの本質を見せてくれる人を探してください。
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   ここで私が捨てるべきことは、「低い」自己が一番大切にしていることで、それは自分が「正しい」と思いたいというエゴです。この迷えるエゴの自己は、自分が正しいと思うことが大好きです。そうすればすべてが大丈夫だと思えるからです。そして少しの間は、より安全だと感じられます。
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   「広大な自己」と対面する時に聴かれることはただ一つ。「真理を体現するために、それ以外のすべてを捨て去る用意があるか」です。そして真理とは、「大いなる光、大いなる愛、大いなる力」の現実であり、私たちの素晴らしい本質です。他の人がこの真理に気づく手伝いをするたびに、自分も助けられます。なぜなら私も同じ本質だからです。それ以外はあり得ません。
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   なので頭や心において「大いなる光」を本当に実感したい人は、まずこのシンプルなやり方で始めてください。思い出すのです。他に何が起きても、とにかく忘れないでください。そして思い出すたびに、体の中でこのエネルギーを感じ取る力を育んでいることを信じてください。
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   あなたの外側に目新しいものは何もありません。それはすでに、あなたの中にあります。自身の記憶を辿ることで、架け橋が築かれます。それを今すぐにしても、後からしてもいいですが、いずれ誰もがすることです。人間の意識の奥深くには、「大いなる自由」をどうしても得たいという強い願望があるからです。
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   幻想の鎖から解き放たれて、「広大無辺な境地」へ飛び立つ感覚を、「大いなる自由」という言葉で表すことができます。この地球次元の幻想の重苦しさを捨て、本当の自分を知るというのがどんな感じか、それを言葉で充分に表現するのは不可能です。
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   自分本来の内なるエネルギーを感じる力を、どのくらい育んだかによって、私たちはいつ「大いなる自由」を味わうかが決まります。私は上昇し、広がります。私を閉じ込めるものは何もなく、「やった!」とわかります。
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   自分が神であると知り、いままでもずっとそうだったし、それ以外のものであったことなど一度もないとわかり、その瞬間、自分にはすべてがあることを悟ります。私はすべてなので、私にはすべてがあります。

 

 

 

続く

 

.ゼラニウムの掲示板より
.                             http://872913.jugem.jp/