憶えていない路を、憶えているかのように。
憶えている路を、憶えていないかのように。
あてのない場所へ。
かえるの唄
「いつ戻ってくるの?」
彼女と最後に話したことは、こんな話題だった。
もうすぐ、と言えばウソになる。
帰る気はない、と言えば落ち込ませてしまう。
「…うーん、来年、再来年くらいかな」
「そっか」
電話の向こうからは素っ気ない返事。
正直、顔が見えなくて良かったと思った。
悲しい顔なんて見たら明日にでも戻ってしまうところだったから。
「…もうすぐ今年が終わるね」
帰る時期が来年の可能性もあると言ったのは、間違いだったかもしれない。
彼女からの言葉を聞いて、そう考えた。
「そうだね。もう冬だね。ほら、そっちは雪が積もるでしょ? 風邪なんてひかないようにね」
強引に、別の話題へと持っていく。
「ありがとう。そっちは」
「あ、もうこんな時間! そろそろ明日の準備をするね」
猿芝居を打って、慌てるように電話を切った。
それが、最後の会話になることも知らずに。
「かえるのうたが聞こえてくるよ」
季節はもう初夏になっていた。
私の故郷は田畑ばかり。
早朝からもうカエルが鳴いている。
歩き慣れた畦道を歩くと、彼女の声が聞こえてきた。
「おかえりなさい」
私はここに来たくなかった。
戻るとあなたがいるから。
二度とどこにも羽ばたけなくなりそうになるから。
「ただいま」
でももう彼女はいない。
恐れることなんて、もうない。
彼女の幻影はカエルの声にかき消されていく。
私は帰る。でも、またすぐに発つ。
かえるが唄うこの土地に、二度と戻らないことを誓って。