帰国から数ヵ月たったある日、TVでカイロを大地震が襲ったことを知った。

震度5弱、規模は昨日新潟を襲った地震よりも弱いが、死者400人以上の大惨事となった。犠牲者の大部分は、崩れた建物の下敷きになったようだ。

5階建ての建物などでも、基本はレンガ造りだ。
しかも屋上には鉄筋が突き出していて、必要がでてくると、そこにさらにレンガを積んで、建て増しをしてゆくという風景があちこちで見られた。素人目にも、「耐震設計」とかなさそうだった。

まっさきに心配になったのは、ほとんどホームステイのような形で面倒を見てくれた大家さん老夫婦&ファミリーのこと。

マダム・サミーラは逃げることができたんだろうか?
ムッシュ・サーデクは怪我していないだろうか?
小さなハイサン(サーデク夫妻の孫)は無事か?

何度目かでやっと電話がつながり、
ムッシュ・サーデクがでた。
ほっとして、声が涙で詰まった。

「クッル クワイエス。ハムドリッラー!」

アッラーに感謝!みんな無事だった。
怪我をしたり家が壊れたりはあったみたいだけど、
一族全員、命に別状はないようだ。

「ところでアティコ・・・お前に電話があった」
「・・・私に?」
「ああ。地震の後、日本大使館から電話があった」
「ワッラー(ええっ)!?」

そういえば、大使館に在留届はだしたけど、帰国届けを出してくるのをすっかり忘れていた。

「アティコは無事かと聞いてきた」
「私が日本に帰国したことを伝えてくれた?」
「アティコは旅にでていると言っておいた」
「は?」

そういえば、自分はカイロから直接日本には行かず、せっかくなので他の国を回ってから・・・と思って、陸路でヨルダン、シリアを通ってトルコに向かったのだ。

「そして言っておいた。アティコは戻ってくると約束したと。だから、またこのうちに必ず帰ってくると」
「そっ、それはもちろんいつか・・・インシャーアッラー」
「で、その日本人女性はいつ戻ってくる予定になっているのかをすごく知りたがっていた。すぐ戻ってくるはずだと答えておいた」
「・・・」

ちょっと頑固者だけど、愛情と正義感にあふれ、自分のことを「娘」と呼んでかわいがってくれたムッシュ・サーデクは、既にかなりの年齢だった。多少耳も遠くなっており、同じ事を繰り返し話す。日本大使館の女性とは、スムーズに会話が成立しなかったかもしれない。

ニュースでは、「在留邦人の安否は現在確認中」と流れていた。

・・・もしかして自分
連絡のつかない在留邦人だった?