昨日の夕方、
園帰りの息子を連れて
スーパーに行きました。
 

買い物ではなく、
ペットボトルのリサイクルを
持っていくだけなので
すぐに帰るつもりで。
 
 
そのスーパーには
最寄駅では唯一のファミレス
サ●●●アが併設されていて 
息子とも何度か
行ったことがあったんです。
 
 
すると、それを思い出したのか
お店を目にした途端
「今日は、ここでごはん食べる!」
と言い出しました。
  
 
そのとき、時間は17時過ぎ。
20時からはオンラインの
グループコンサルがあります。
 

ごはんの用意をさっさと済ませて
食べさせて、お風呂入れて、歯磨きして
いつでも眠れる状態にしておきたい私。
 
 
夫の帰りも日によってマチマチなので
当てにできません。
 
 
「今日はもうお家でごはんにしよ。
 パパもすぐ帰ってくるかもしれないし、
 そのときにごはんが無かったら
 かわいそうだよね?」
 
「イヤだ!お家じゃなくてここがいい!」
 
「今日言って今日ってのは、できないよ。
 今度、いついつ行こうって決めて来よう」
 
「なんで今日はダメなの〜?;;
 食べて帰ったらいいじゃん〜
 パパのは別で作ったらいいじゃん〜」
  
 

(困ったなぁ…)
 
 
確かにそれもできなくはないけど
外食をあまり良しとしない
夫の顔も浮かんでくる。 
 
 

いよいよ泣き出す息子。
自転車の後ろに座ったまま
10分が経ち、気持ちばかりが焦る。
 
  
 

こうなったとき、
息子の場合は
無理強いすると
ますます状況は悪化する。
 

でも、彼が本心から納得できたら
こちらがビックリするくらい
スッと動いてくれることも知っている。
 
 
私自身が、まずフラットになって
彼と、彼のまとう空気ごと
受け入れてみようと、
深呼吸してみました。

 
すると、
「ここで食べたい本当の理由」に
ハッと気付いたのです。
 

 
「(…ひょっとして…)
 お家で食べるのがイヤなの?
 なんでかな? 
 早く食べられないと怒られちゃうから?」
 
「うん…」
 
「そっかぁ。(なるほどね)」
 
 
ここ数日、
夜ごはんに1時間半くらいかかっていて
食べてる途中で帰宅した夫に
「まだ食べてんの?!」と
怒られる日が続いていたのです。
 
 
私も
「ほら、早く食べよう!」
と口うるさく言っていました。
 
 
『サ●●●アで食べたい訳じゃない。
 楽しくないごはんの時間がイヤなんだ』
  

そう気付き、
泣きわめいてグジャグジャになっている息子に
楽しい晩ごはんをイメージさせることを
試みました。

 
 
 
「ここで、何が食べたかったの?」
 
「ピザとか、パスタとか…」
 
「そっか。どんなピザ?」
 
「トマトとかチーズとか、シソ(バジル)とか
 乗っかってるやつ…」
 
「マルゲリータね♪
 じゃあ、それお家で食べない?」
 
「え〜? サ●●●アの方が美味しいよぉ」
 
「(グサッ)ほんと? 
 お家で一緒に作るんだよ?♪」
 
「作るの?」
 
「そう、お手伝いしてくれるかな?」
 
「うん! するする〜!」
  
 
 
そこからは
「僕、ピザの材料探しとくね〜」と
店内をスタスタ進んでいくくらい上機嫌。
 
 
テキパキと買い物を済ませ
家に着いたら、すぐにごはんの用意。
 
 
彼にピザを任せ、
私はパスタを作り、
パパの分もスタンバイして、と
20分程度でできあがりました。
 
 
自分で作ったピザも
大好きなエビたっぷりのパスタも
「おいしいね、おいしいね」と
頬張る息子を見て
  

「こういう晩ごはんの時間を
 過ごしたかっただけなんだよね」
と反省。
 
 
「サ●●●アの方がおいしい」も撤回し
「ママの作った方が何倍もおいしい!」と
笑顔を見せてくれて、
1時間半かかっていたごはんも30分で完食!
 
 

余裕でパパの帰りを出迎え、
お風呂を済ませて
私もグルコンに参加することができました。
 
 
 
そこで思ったんです。
 

 
何か問題を解決するときは
問題の本質を知ることが大事。
 
 
そして、それは表面上の言葉や態度に
現れているとは限らない。
  
 
  
 
これってね、
実はクライアントさんにも
言えることなんです。
 
 
 
悩みを解決しようと改善策を提案しても
なかなか重い腰が上がらない。
 
 
それは、
話してくれた悩みとは別のところに
本当の問題が隠れていることが
往往にしてあるから。
 
 
「悩みは何ですか?」と聞いて
話してくれた表面上の問題ではなく、
コミュニケーションを密に取り
ポロリとこぼれた本音に
本当の悩みが隠れているものだから。
 
 
 
それに気付くと、人は変わる。
  
 

ちょうど、その夜のグルコンで
メンターがそう教えてくれて
リンクした私は
深く納得できたのでした。

 
今回の件は
私の余裕の無さにも
ツッコミどころが
たーくさんありますが;
 

目の前の人の
本質的な悩みを引き出し
解決できる人でありたいと
感じた出来事でした。