価値観を自分軸にするということが

以前はどういうことか具体的にわからず

実感できることがなかったので

 

当たり前のように

自分の外の他者が決めた価値観を

自分の価値観だと思い込んでいたから

 

それはそれは疲れたし

何をやっても不安で苦しかった

当然自信もなかった

 

 

 

例えば息子を育てるにあたって

比較をしてはいけないと思っても

結局他の子と比べていた

それはもうほぼ無意識なので

どうやって止めればいいかわからなかった

 

 

 

やがてどうやっても健常児と比べたって

意味ないと思ってそこをくらべることは無くなったが

今度はダウン症児と比べることになった

 

 

どこまで行っても比べる思考から抜けられなかったな

 

 

なんでそうなったかって

家でも学校でも比べられまくって

その価値観を素直に受け入れてしまったから

 

 

受け入れなければもっと違ったのだろうけど

スポンジのようにどんどん吸収してしまったな

 

 

 

 

今でも気を抜けば比較の概念で他者と接してしまうのは

無意識に刷り込まれているからで

その無意識を意識に上げてくる作業の頻度が上がると

だんだん見識・行動に自信が持てるようになる

 

 

 

 

学校教育というものは

比較の渦の中にいるようなもので

正直辟易とするのだけど

あの環境でも比較の価値観がガッツリ入らない人もいる

 

 

その違いは何なのかな?と思ったときに

それはおそらく家庭にあるのだろうな、と思う

 

 

 

 

「自分は自分」という価値観は

突き詰めれば幸せに直結するはず

 

 

だって世界は自分の五感(六感も含むけど)が直接感知できる範囲しかない

テレビの中のことスマホの中のことパソコンの中のこと

遠いどこかで起きていることは

自分の世界の出来事ではない

 

 

そこにエネルギーを注げば注ぐほど(見れば見るほど・関心を寄せれば寄せるほど)

自分の世界に注ぐエネルギーは減るし不安定になるし

例えばニュースや世界の問題や異常気象などのネガティブなことであれば

その出来事を大きく(悪化)する手伝いをしてしまうことになる

 

 

例えば誘拐事件が多発しています

そのうちの一件を取り上げて繰り返しニュースで流し

わたしの感情が揺れるとする

「かわいそう」「許せない」「怖い」「こんなこと起こってほしくない」

 

 

でもその出来事に注目して感情を揺らすということは

その出来事を大きくすると同時に

自分の現実にその出来事を招き入れてしまうことになる

 

 

 

メディアで大々的に流されるものは

基本わたしたちを幸せにするためのものではない

そのことを知っているのといないのとでは

日常生活の幸福度が大きく変わってくる

 

 

 

 

直接自分の五感で感じられる世界以外の物事を見たり触れたりするときは

俯瞰して感情を動かさず巻き込まれないようにして

逆に直接自分の五感で感じられる「わたしの世界」は

思いっきりその時の感情や感覚を感じて生活すると

 

世間の飲み込まれたくない波には

飲み込まれにくくなる

 

 

 

世間だけじゃなくて

人間関係も一緒

 

 

 

自分の世界は隣の人の世界とは違う

 

 

 

みんなそれぞれの世界で生きている

 

 

 

それが分かれば引っ張られることもなくなる

 

 

 

うちにはテレビはないけれど

正直とっても快適

 

 

 

自分の世界に入れたいものをちゃんと選択できることが

ストレスを減らす一つの方法でもある

 

 

 

逆を言えば

自分の世界は自分でいかようにも変えられるということ

 

 

 

そう考えると本当にワクワクして

楽しみだなーって

心の底から思える

 

 

 

こんな話

共感できる人は周りにはいないけど

(あ、旦那さんは話せば聞いてくれるか)

でも孤独ではない

 

 

 

それも多分

自分の世界にしっかり意識を向けていると(流していると・感じていると)

「わたし」という存在がいかにたくさんの存在と共にある

集合体であるか

が実感しやすくなるからだと思う

 

 

 

そう

わたしたち

トイレに入ってても眠ってても

どこで何をしていても

自分(と思っている自分)だけじゃないんですよ

 

 

 

時々それをハートで実感すると

必ずと言っていいほど

涙が出てきて

感謝の気持ちが湧いてくる

 

 

そういう時にすごく

「生きてるな」

と感じる

 

 

 

日常の何でもない一瞬

その隙間に

自分に戻る瞬間はやってくる

 

 

 

外の「雑音」で聞こえなくなってしまった

「わたしの音」を

みんなが取り戻したら

 

みんなそれぞれの世界が

堂々と誰に遠慮するでもなく

幸せだ!と実感できるものに

なるんだろうな

 

 

 

そんな世界を自分のタイムラインの先に

設定する

 

 

 

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