息子とまとのインソールを新しくすると言うことで

今日は病院に行ってきたんです

 

整形外科を受診して装具屋さんが作ってくれたインソールを

新しく買ったKEENのハイカットの靴に入れて

 

いざ履かせようとすると

当然履かないんですね

 

 

慣れてないものは嫌がるので

想定内ではありましたが

 

 

 

今回は結構な抵抗で

わたしとしても

釈然としないものがありつつ

 

診察を終えたんです

 

 

 

 

この釈然としないのはなんだろう

 

 

 

帰りに高速を運転しながら

ぽろぽろ涙がこぼれました

 

 

 

今日は旦那さんも一緒に行っていたので

旦那さんに話そうかと思ったのですが

 

言葉にうまくまとまらないし

運転しながら喋るのは危ない気がして

 

その時はその感情をそのままにして

運転していました

 

 

 

 

そのまま帰るのがなんか嫌で

帰りにある美味しそうな自然派なワッフル屋さんに寄ろうとしたけど

通り過ぎてしまい

 

 

引き返す度胸がなく

仕方なく自宅から一番近いと思われる

うちの町民御用達のイオンモールに行ったら

 

 

なんだか余計に気持ちが荒み

 

 

荒んだ状態で町民がこぞって通う町内に一つの

スーパーに夕食の買い出しによると

 

 

 

目の前に友達親子の姿

 

 

 

思わず手を振って凹んでるんだーと話す

「明日、1日フリーやから!」と友達が言ってくれたので

やったー!会いに行く!とゆって別れ

 

 

 

それで落ち着いたと思ったのですが

 

 

 

夕食後にまた

涙が溢れたんです

 

 

 

 

今日は旦那さんもなんだか調子良くなさそうで

珍しく少しイラついている

 

 

 

それを見つつ

きっとこれはわたしの中が荒れてて

わたしがちゃんとその想いを拾えてないからだな

 

 

 

と思ってたんです

 

 

 

夕食後、息子はのんびり遊び

旦那さんはパター練習と筋トレを始め

 

 

 

一人食卓でぼーっとしていて

 

「もう背負いきれない」

 

という言葉とともに涙が流れ

 

 

 

何を??と思ってたら

 

息子のことだったんです

 

 

 

とまとは内反扁平足で外反母趾もあり

足の変形が見られます

 

 

 

しっかり歩き続けられるように、と

靴やインソールをしっかりしたものにしてきたんですが

 

 

 

今日受診に行く前から自分の中の違和感があり

そしてやっぱり受診しても違和感は消えず

 

大きくなる一方で

 

 

 

 

「本当にこの靴とインソールが必要なの?」

「本当にこの方法が望んだことなの?

 

 

 

 

この疑問がずーっと小さいけれども大きな存在感で

奥底からわたしをノックし続けていたんです

 

 

 

 

わたしの望むことはなんだろう?

 

そもそもわたしが決めることなの?

 

誰も答えなんか持っていない

 

医師の言葉は一つの道でしょ?

 

あの靴とインソールを履いた場合と履かない場合と

 

誰も検証はできない

 

 

 

 

「もう嫌だ。わからん。誰か教えて」

 

 

って思わず言葉が口から小さく出たけど

 

 

その答えなんてない

 

 

 

 

 

医師は間違いなく言う

 

「染色体異常からの筋低緊張があるので」

 

 

 

 

何を聞いてもこれしか答えは返ってこない

 

「染色体異常からの筋低緊張」

 

 

これがある以上どうにもならないの?

 

本当にそう?

 

 

 

 

わたしはどうやっても納得ができない

 

奥底で何かが違うって言ってる

 

 

 

 

じゃぁ何が正しいの?正解なの?

 

と思わず聞き返すけど

 

そもそも正しさや正解は自分の中にしかなく

 

むしろ自分が決めたことしか正しい正解にならない

 

 

 

 

そんな堂々巡りを繰り返しながら

涙が溢れる

 

 

 

 

「もし、とまとが歩けなくなったとしたら、それでもいい?」

「わたしもう、病院行くの違和感だらけでしんどいから、やめていい?」

 

 

 

誰にともなくそう言うと

 

涙がどっと溢れた

 

 

 

 

 

 

そんなわたしを息子とまとは冷静に見ていて

 

旦那さんも冷静に見ている

 

 

 

 

 

旦那さんにわかってほしいと思ったけど

 

わかって欲しいのはしんどいことのアピールじゃなくて

 

一緒に考えて欲しいってことだと思ったので

 

 

 

 

 

やっと頭の整理が少しついたので

 

 

相変わらず泣きながら言ってみた

 

 

 

 

 

あの靴とインソールのための受診、やめたい

 

 

 

すると

 

「うん、やめてええと思う。サマーシューズでも歩いてたし、あの靴とかじゃなくても大丈夫や」

 

 

「いや、変形があるのを酷くしないために、将来のためにあの靴を履いとるんよ

もしあの子が歩けんくなったらって思うと怖い。歩きにくそうなダウン症の大人の方見たことあるし

 

まぁでも、その人ととまとは違うけど。。。あとダウンちゃんでも全然足大丈夫な子もおるけど。。。」

というと

 

 

 

「歩くか歩かんかはとまとが考える。歩きたかったら歩くやろ。そもそも家におる時はずっと裸足で歩いとるし」

 

 

と言われ

 

 

「確かに。。。家は裸足だ。。。」

 

 

 

インソールのあの靴を履いている時間の方が短い

 

 

 

そこにそんな効果効能を求めることに

そもそも疑問を感じた

 

 

 

 

 

長時間履いているであろう学校も

一度学校でどう過ごしているのか

ちゃんと見る必要があるな

 

 

 

あと、せっかく買った靴をどうしようかとか

 

インソールもう作ってもらったしとか

 

そんなのが頭をもたげてきたけど

 

 

 

 

旦那さんが、もう履かんでええやんと言ったので

 

それも頭に置きつつ

 

 

 

お風呂で鏡を見ながら自分の目を見ながら

 

「どうしたらいい?」ではなく

 

「どうしたい?」とわたしに問いかけてみました

 

 

 

すると答えは出ました

 

 

 

「安心を買うことは不安を受け入れたこと」

 

 

 

未来の不安に備えることで得る安心は

 

裏を返せば不安な未来を肯定したことになる

 

困ることが前提となる

 

それは真の安心ではない

 

 

 

 

 

思考が先、現実はあと

 

 

 

わたしの思考如何によって現実は生まれる

 

 

 

 

わたしが望むこと、みたい現実は

 

息子とまとが自由に本人が動きたいように動くこと

 

それだけ

 

 

 

存分に彼の身体を使って彼の表現をしてくれたら

 

それでわたしは幸せだ

 

 

 

 

だったらあの靴は

 

逆に動きにくくなってしまうように思う

 

よし、やめよう

 

 

 

これで自分の中で一つ決まりました

 

 

 

 

KEENの靴は履けてないので返品することにしました

 

 

では新たに靴を何にするか?

 

 

 

 

 

一つ目星をつけているので

 

そのメーカーに相談してみようと思います

 

 

 

 

 

インソールを一つ作ってしまったので

 

ひとまずそれは上靴で使っても良いかもな?と思ったり

 

まぁそれも

 

学校での様子をしっかり確認してからだ

 

 

 

 

あと、とまとの足にも聞いてみようと思う

 

「どうしたい?何がしたい?何が履きたい?」

 

きっと答えてくれると思うし

 

今日の病院でのとまとの態度も

 

一つの大切な答えだ

 

 

 

 

 

今回のことで思ったのは

 

感情に任せて旦那さんに八つ当たりしなくなったな

 

てこと

 

 

 

 

感情に飲み込まれず

 

感情は出しつつ冷静に自分の気持ちや想いを拾えたことは

 

とても嬉しい出来事でした

 

 

 

 

そして一人で背負っていたものを

 

ちゃんと分散できたことは

 

自分に花マルを上げたいと思います

 

 

 

 

明日は今日会ったダウンちゃんママでもある友達と

大好きなカフェにお茶しに行きます

 

 

きっともっと

 

 

気持ちが明るくなること間違いなし

 

 

 

 

必要なモノは必要な時に必要なだけ手に入る

 

 

 

 

本当ですね

 

 

 

 

自分と家族と友達へ

 

感謝の気持ちでいっぱいです

 

 

 

 

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秋の雲と夏の雲が混在した空

変わり目は境が曖昧ですね