ちょっと前まではついつい大きく上向くことを目指す自分がいて

いわゆる「成功」というものに憧れがあったのですが

 

 

自分にとっての一番心地よいしっくりくる形というのは

その「いわゆる成功」というものの範疇に当てはまるとは

限らないんですね

 

 

 

最近それが

少しずつ実感できるようになりました

 

 

 

わざとはみ出して目立ったり

変わった人認定のアイデンティティを演出して

個性的な自分をアピールする必要もなく(当者比)

 

 

 

ただただ淡々と

前回のブログで書いた

「自分が一番大切にしたい、絶対に譲れないもの」

を一等に基準に置いて日々を過ごすことで

 

 

 

自然と「自分」の輪郭と内容が自他ともに明確になる

それがその人の個性である

 

 

 

 

そんな感じなんだな、と思い始めています

 

 

 

 

今日も今日とて学校を休み

息子と自宅でまったり過ごしましたが

 

 

お互いそれぞれで思い思いに過ごし

できるだけ干渉しないように心がけました

 

 

 

わたしは干渉されるのが本当は大嫌いなので

干渉するのも実は疲れるようです

本当は誰かと一緒に居過ぎるのも

たとえ息子とてパートナーとて疲れる

 

 

 

結婚や育児に向いてないなと思います

 

 

 

でもそれも

家族だけでどうにかしようとするからなのかも?と思ったり

 

 

ご近所付き合いや

近所の友達とあれこれ話したり

あげたりもらったり

 

そんなことをしているとふと

軽くなる感じがあって

 

元気になったり楽になることがあるので

分散することって大事だなって思います

 

 

 

 

友達のおうちに晩ご飯をお呼ばれに行ったり

うちでは飲まないお酒をあげたり

 

 

友達の家だけじゃなく

近所の人からいただいたり

また別の人にあげたり

 

 

主にお野菜ですけど

 

 

 

 

それでもそういった横のつながりを感じながら

ちょっとしたことを話しながら

 

 

ゆるーいお付き合いがあるだけで

和むし楽になる

 

 

 

 

 

特にうちは息子とまとを知ってもらうのは

すごく大切なことだと思っていて

 

 

ご近所の方々に見守られて育つのって

憧れだったから

 

 

それが叶えられる環境があるだけでも

心がホッとします

 

 

 

 

 

よく考えたらわたしが子供の頃は

ご近所付き合いがあって

近所の人とも顔見知りで

子供だけで駆け回って遊べましたが

 

 

 

やっぱりそういう環境って

子育てする家庭には必要なんじゃないかな

 

 

 

 

困ったときはお互い様だし

困らなくてもお互い様だし

豊かなこともお互い様

 

 

 

今はちょっとそんな感じがあって

肩の荷が少し降りたように感じます

 

 

 

肩の力を抜くことを意識し始めると

少しずつだけど抜けるものなのですね

 

 

 

それによって起こる出来事も変わってきてます

 

 

 

百聞は一見にしかず

百見は一体験にしかず

 

 

 

 

ご近所付き合いのある昭和な町に育って

ご近所付き合いを大事にする祖母と母を見て育って

 

よかったなって思います

 

挨拶とかびっくりするくらいナチュラルにできるし

なんとなく心の距離感もわかるから

全く苦じゃないんです

 

 

 

ご近所さんには挨拶をするように、と

育てられたお陰で

染み付いてます

 

 

若い時はもちろん

そういった関わりや挨拶を

必要ないと思ったこともありましたが

年々欲する自分がいました

 

 

 

 

好き好きでしょうが

わたしはこういった関わりのある生活が性に合っているので

 

関わりを大切にしつつ

自分の大切にしたいものを大切にしつつ

 

地道に生活することで

好きな現実を創造し続けることができるように

感じています

 

 

 

 

この安心感とゆったり感を

常に感じていきたいです

 

それも一つの

大切にしたいことです

 

 

 

 

この地を選んだ大きな理由の一つが

「ご近所付き合い」でもあったんですね

 

 

 

 

 

image

蜜蝋ワックス塗りを手伝ってくれた近所の子供たちの痕跡

(息子は参加せず、友達のお母さんと遊んでました)

この塗りムラも、今は薄くなりつつあります

綺麗に均一に塗るのも素敵

楽しそうな子供たちに任せるのも素敵

どちらも楽しめるのがいいですね