
2000年~2007年。
おれは横浜本牧に住んでいた。これは当時のおれの部屋。
中島みゆきではないが、「ご乱心の時代」でもあり、おれにとって最も変化が激しく毎日が新しく苦しく楽しかった時代である。1999年に脱サラしたのだが、仕事漬けだった15年間も今ならほぼ確実に過労死するレベルの状況だったにしても海外出張その他楽しいこともたくさんあり思い出も多いのだが、なぜかそれ以上に2000年代の試行錯誤した時代のほうが印象に残っている。
脱サラして虚脱状態になったおれは、1年間に住居を2回変えたり、車やバイクをあれこれ買い替えたり、作家きどりで熱海の旅館に止まって原稿用紙に向かってみたりメチャクチャしていたのだが、最終的に落ち着いたのが本牧である。
仕事面では、脱サラしてすぐに通った赤坂の翻訳学校で首席をとり、それが縁で出版関係や作家さんなどと出会ったりして、まず翻訳という仕事を始めた。次に営業が苦手なおれだったはずが、出版社パーティみたいなものに参加しては出版社の社長にまあ一杯どうぞなどといいながら企画書を売り込んで、それが実を結んで本を数冊出すことができた。もちろん自費出版ではない。たいして売れはしなかったが、日経関係の出版社の要職の方からは「直木賞とれるくらいの筆力がある」と褒めてもらったりかなりうれしかった記憶がある。もっとも本来目指していた小説のほうがからきしダメで、ビジネス絡みの本だったし、ネタが尽きて数冊で終わってしまったが。
そして本牧で最も得た収穫が、音楽との再会である。
おれは集団行動が苦手で一人が好きな割には変に社交的なところがあり、ひとりで酒場に出かけてはマスターやママさんと仲良くなったり、常連さんと意気投合したりすることが多い不思議な性格なのだが、ここでもそれが炸裂した。リーマン生活でギターからは遠ざかっていたのだが、本牧は生演奏(ブルースやジャズ、ロック)が盛んな街で、ふらっと入った店で生演奏やバンド演奏を再開することになった。もっとも既にギターについてはフラメンコギターを習いに通っていた頃で(たぶんパコデルシアの影響)、リハビリ中だったのだが、エレキやアコギからはずいぶん遠ざかっていたのだ。しかし、本牧の店で音楽好きと毎日のように飲む機会が増えてから、埋もれていたオベーションを引っ張り出し、新たにフェンダーのストラトを買い、練習を再開したのだった。
酒飲んで生演奏ができる歌酒場は今では珍しくないが、本牧には当時からそういう店があったのである。これで昼間は執筆と翻訳、夜は酒とギターというサイクルが生まれることになるのだが、これほど楽しい毎日はなかった。音楽をプレイするという喜びを再び得られたこともある。また、出版社などリーマン時代に絶対に出会えなかったタイプの人達とコネクションができて、歌舞伎町や早稲田のクレイジーな文学者の集まりや飲み屋で見識がありながら遊び人というおもしろいひとたちとの出会いで全く知らなかった世界がこの世の中にはあることを体験できたのだから。
詳細はまた書くとして、そんな時代のおれの部屋。懐かしい部屋である。