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牛しっぽ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛あたま




過去の話です。


母は勝手に病院から抜け出して転んで動けなくなっているところを救出されました。


連絡を受けて慌てて病院に駆けつけた私に、看護師長さんは口では謝罪の言葉を言いながら、妙に冷たかったのを覚えています。


病院側の管理不行き届きで怪我をしたのですから、責任は病院をにあったのかもしれませんが、私からは何も言えませんでした。


「気に入らないなら出て行ってください」
そう言われたとしても行く所はありません。


そして母は、病院から「問題のある患者」とされました。


問題があるという事は、手がかかる、という事です。


11月も半ばの頃、私は看護師長さんから話があると呼ばれました。


その病院は大きな病院で系列の病院がたくさんあります。


今回のように勝手に病院を出て行くような事がないように、鍵のかかる閉鎖病棟がある系列の精神科の病院に移ってはどうか、という話でした。


続いて担当の医師との面談があり、同じく転院を勧められました。


私に拒否の権限はありませんでした。


転院をするにあたり、その病院に行って申し込みをすると同時に、病棟の見学をするようにと言われました。


後日、転院の書類を渡されて私は次の病院に行きました。


母の終の住処と思っていた病院からまた転院しなければならない。


問題行動を起こした為に追い出されるのです。


他に選択肢はなく、自宅で看る事が出来ない以上は次の病院で面倒を見てもらわないといけないのです。


なんとも言えない悔しさと情けない思いで私は次の病院に向かいました。


母のいる病院からは車で30分ほどの所にその病院はありました。


受付で書類を渡して手続きを済ませた後、病棟へ案内されました。


閉鎖病棟は鍵がかかっていて、インターホンを鳴らして鍵を開けてもらいます。


病棟に入ると、排泄物の臭いが入り混じった何とも表現出来ない臭いが漂っていました。


どこからか、奇声が聞こえていました。


病室の中までは見ませんでしたが、ここに親を入院させるのかと思うと、心がキリキリと痛みました。


でも仕方がありません。


自分で看られない以上、仕方がありません。


実は、大阪に引っ越してからすぐに近くの病院にはいれないかと思い、病院を探した事がありました。


市役所や保健所に相談に行ったり、病院の見学に行ったりして探しましたが、結局新しく受け入れてもらうには、申し込みをしてから数年待ちになります。


また、母を連れて行った病院では、今の母の状態ではその病院では受け入れられないと断られた事もありました。


病院探しはとても大変な事だったのです。


そういう経験があった為、私は不本意でしたが転院を受け入れました。


自宅に帰ってから、私は泣きました。


毒親で、小さな頃から私を支配してきた母でした。


何でもかんでも母の思い通りにされました。


私は母に愛されたいと願い、母の喜ぶように行動していました。


離婚して実家に戻ってから、昔と違い私に頼りきりの母が鬱陶しくてたまりませんでした。


有無を言わずにはじまった介護も、正直言ってイヤでした。


自分しかいないから仕方がなくやっていました。


しかし、自分を産んでくれた母親です。


母親をあの病院に入れるのかと思うと、心の底から情けなく思いました。


でも、他に方法はありません。


その後看護師長さんとの面談で、師長さんは何度も何度も謝っていました。


師長さんとしても仕事上仕方がない決断だったのでしょう。


次の病院で空きが出たら、最優先で連絡があるという話でした。


そしてその年の年末に次の病院から電話があり、年明け早々に転院するようにと言われました。



続きます。