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義母が家の中で骨折して救急車を呼んだ時、義父は長男が同じ家の中にいるのにそちらは呼ばずに、わざわざ離れたところに住む次男を呼んでいました。


長男が頼りにならないとは言え、考えられないと私は思いました。


義父は誰も信頼してはいないようでした。

たとえ我が子であっても信頼はしていないようでした。

我が子でもそうですから嫁なんて信頼するわけありませんよね。

寂しい人だと思いました。

私が結婚した時、
「○子はうちの子やからな。」
と再三言われました。

私は家族として認められていると勘違いしていました。

ところが、「うちの子」とは、「義父の言うことを聞け」と言う意味でした。





私の実父が亡くなった時、義両親は2人でお通夜、葬儀にやってきました。

ちなみにお通夜、葬儀は自宅でとりおこないました。

そこそこ田舎でしたので、親戚の方や、ご近所さんが大勢手伝いに来てくれていました。

みんなが忙しくバタバタしている中、偉そうに威張り散らす義父。

お通夜の前に親戚の方に軽食を食べていただく時に、真っ先に上座に座っていた義父。

ご近所の方が「あの人は誰?」と聞いているのが聞こえてきました。

私は恥ずかしく思いながらも、人の言うことを聞くような義両親ではないので、義両親2人のお世話は夫に任せていました。



焼香の順番をあらかじめ決める時、実父の兄弟、実母の兄弟、その後の順番で義両親を入れてもらうように決めました。

私的にはもっと後ろで良いとは思ったのですが、後から文句を言われてもイヤなので、無理を言ってそうしてもらいました。

葬儀の後のさまざまな用事を済ませて自宅に戻った時、私は荷物を解くより先に義両親に呼ばれました。

そして、お通夜、葬儀の時の義両親の扱いが粗末だった、と叱られました。

焼香の順番も気に入らなかったようでそれも文句を言われました。

嫁いだ娘の義両親なのに、1番に焼香するつもりをしていたようでした。

ビックリですよね。

初七日の法要は実家の地域ではお手伝いしてもらったご近所さんを呼ぶという風習だったので、義両親は呼ばなかったのですが、それも勝手に来るつもりをしていたみたいで、呼ばないのはおかしい、と叱られました。

私は悔しくて悔しくてたまりませんでしたが、その場から解放されたい一心で、両手をついて頭を下げてお詫びをしました。

それでも、義両親の怒りが収まることはありませんでした。

情けない、悔しい、実家を馬鹿にしている、そう思いました。

私の怒りが収まることもありませんでした。



そんな義両親との同居は12年でした。


今思い出しても気分が悪い出来事でした。